【磨いた腕の活かし場所】

自分の腕を誇示するんじゃなくてね。
相手さまの問題解決に、自分の腕を生かすのよ。

<越護啓子/大学講師・生活共感プロデューサー>



■ひとこと

人はいつも成長を求めるけれど、いったい何のための成長なのかなあ?


まずは、自分自身の力で生きていけるようになるために。

さらに、小さな自分の実力ではとうてい及ばなかったことができるようになるために。

そして何よりも、助けてあげたい仲間を本当の意味で守り切るために。

…そういうこと、だよね?先生。
【愛の総量を増やす】

ふと思った。
この世界に愛の総量を増やすには、どうすれば良いのかな…。
 
人と人がもっと仲良く、愛し合って暮らしていくために、何が必要だろうか?
 
ちっこいアタマで、ウンウンと考えて編み出した一つの考えをコッソリ披露したい。
 
それは、
『愛に関する概念を書き換えれば良いんだ!』
 
 
一般的な愛に関する概念が、
「(多く)愛してくれたら、(小さく)愛を返す。」だとしたら、世の中にはなかなか愛の総量は増えそうな気がしない。
 
 
だから、このことに気づいた人から、
「まず愛そう。愛を出して、出して、出し惜しまず、出し切る。」
人によって愛のサイズは違うから、小さな愛も、大っきな愛も、それぞれで良い。
 
 
ただ、
先に愛を出したものが損をするような事があったら、誰もそんなこと、やりたがらないよね。
 
だから、信じること。信じられること。
愛を提供する者こそ、幸せになれる、と。
 
 
I believe
変わりゆく世界でも
I believe
変わらないものがある
 
 
これ、むかし流行った歌の台詞。
「変わらないもの」って何だろうねぇ。
【正しい? 楽しい!】

これは政治に限りませんが、周りとの温度差は常に意識する必要があると思います。

何かに夢中になっていて、「僕がこれは絶対に正しいと思うし、こうあるべきだ」と思って熱くなればなるほど、他の人は引いていくということを忘れてはいけません。

温度差がある周囲の人を巻き込む時に、「敵をみんなで攻撃しよう」ではなく「みんなでこういうおもしろい未来を作ろう」という巻き込み方にしないと、引いていく人はドンドン引いていくと私は考えています。

そういう意味では如何に「自分を客観視できるか」というのも重要でしょう。

<原田謙介/NPO法人YouthCreate代表>



■ひとこと

正しいことを、したり顔で言う人がニガテです。

僕みたいなデタラメに生きてきた人間からしたら、正しい発言の前にはぐうの音も出なくなるから。

正しいからって、やりたくなる?
なんか違う気がするんだ。

楽しそうだから、やりたくなる!
そんな気がするんだ。

楽しい企みを、イタズラ顔で言う人が好きです。
【最大級の幸せをつかむために】

必要なものは、

叡智でもなかった。
思索でもなかった。
学究でもなかった。
ポオズでもなかった。

愛情だ。
蒼空よりも深い愛情だ。

< 太宰治/小説家>



■ひとこと

人が幸せを感じるときって、どんな時だろう?

・美味しいものや甘いものなどを食べたとき
・お風呂でゆっくりとリラックスできたとき
・家族団らんを過ごしているとき
・ふかふかの布団に入ってさあ寝ようとリラックスしたとき
・好きな楽器を弾いているとき
・人前でのプレゼンが上手くいったとき
・綺麗な景色を見て心がほんわか和んだとき
・美味い酒(最近の僕はもっぱらウイスキーなんだけど)をチビチビやっているひととき

などなど。

んー、どれも幸せな感じがするけれど、
最近発見した最大級の幸せというのは、

『愛する人に愛が届いたとき』
なんじゃないかなって。


愛を届けたい人がいることが何より幸せで、
それだけでも十分に幸せなことなんだけど、

愛を受け入れてくれて、かつ、自分が相手を愛するのと同じように相手が自分を愛してくれること。

こんなことって奇跡といってもいいことなんだけど、生きていると、ごく稀にこんなキラキラした素敵な瞬間に巡り会える気がするんだ。


この最大級の幸せをつかむために、なにが必要かって?
それは、自分から愛情を示すことに他ならない。

もちろん、自分が相手を愛するのと同じように、相手が自分を愛してくれるとは限らないよ。

だからといって、愛情を出し惜しみすることはない。自分から愛情を示すこと。

それが最大級の幸せをつかむための大きな一歩なんだと思う。
【人を育てるには】

世間では大人の言いなりになる子や、大人の考えの枠から飛躍しようとしない子が「いい子」であり、
自分の意思を堂々と主張したり、
個性的な考え方や行動をする子を「悪い子」というレッテルをはりがちである。

けれども私は逆だ。世間でいう「悪い子」に期待している。

なぜならそういう子どもこそ個性にあふれ、可能性に満ちた本当の意味の「いい子」だからである。

< 本田宗一郎/実業家>



■ひとこと

草木がスクスクと育つには、適切な養分と水と温かく降り注ぐ太陽の力が必要。

子供がスクスクと育つには、やはり適切な栄養と適度な運動と、
そしてその子の持って生まれた才能を見つめて、伸ばしてあげようという愛情が必要なんじゃないか。


いや、子供だけではない。
大人にだって、同じことが当てはまる。
その人物の持っている才能(強み)を見つめて、伸ばしてあげようという愛情が人材育成の視点からも大事なことではないだろうか。


ところで、愛情とは辞書を引くと
『深く愛し、いつくしむ心』とある。
なんとも美しい言葉である。

でも、清くもなく美しくもない私の心は、誰に対しても平等に愛情を注ぐことなんかできっこない。
もっとハッキリ言えば、あの人は好きだけど、この人はキライ。
あの人には愛情を注げるけれど、この人には無理。
これが偉大ならざる“普通の人間”の本当の姿。

となると、
人を育てるべき立場の人間は、誰に対しても平等に愛情を注ぐことができる清く美しい心を持っていなければならない、ということになる。
しかし、そんな聖人が人を育てる立場の数だけ揃っているのだろうか…?


この疑問に答えてくれる素敵な言葉が見つかった。

『自分が人にたいしてどう感じるかはコントロールできませんが、人にたいしてどのように振舞うかは、きちんとコントロールできます。
隣人は気難しい人で、好きになれないかもしれませんが、それでも親切に接することはできる。相手が感じの悪い態度であっても、自分のほうは忍耐強く、正直に、ていねいに接することができるのです。』

つまり、愛とは感情の愛ではなく、行為としての愛ということ。

好きか嫌いか。これは感情レベルのことなので制御できない。キライなものはキライでいい。
でも、キライな人にも行為として手を差し伸べることはできる。
優しい言葉をかけることはできる。

感情ではなく行動・行為で愛を示す。
これなら、なんとか努力次第でできそうである。
【自分の強み】

20歳頃に「自分の強みってなんだろう」とすごく悩みました。
悩んだ末に「これが自分の強みかな」となんとなく思えるものが見つかって、でも周りにはもっとその強みを活かしている人がいました。

人と比べている限り自分よりすごい人なんて世の中にたくさんいます。
「これが強みかな」と思ったことも、「他の人に比べたらこれは全然強みじゃない」と他者と比較することで全部ダメに思えるものです。

多くの人は強みを探すときに、他者と比較して優れているところを探そうとしている気がします。
そうではなくて、強みとは「自分のなかで比較するもの」だと思います。

<山中哲男/株式会社インプレス 代表取締役>



■ひとこと

自分にないものを欲しがっても、ないものはない。
何故もっていないのか問い始めると、苦しくなる。
空っぽの自分に気づくから。

逆に、
自分が持っているもの、それを意識して感じると心の奥底から満たされている感じがしてきて、ジンワリあたたかい気持ちになる。
沢山の人たちの好意と善意の上で生かされている自分に気づくから。


まずは、自分が持っているものに気付こう。
何にも持ってない、なんてことはあり得ない。

気付くことができたら、
その中でも特に大切にしていることや、夢中になれることを見つけてみよう。

それが、自分の強みじゃないかしら。
いまはそんな風に考えています。



■編集後記

約1年間もご無沙汰してしまいました。
御元気でしたか?

僕は元気です!
そして、相変わらず後悔と反省の日々です。(^_^;)

まあ、悔やんだり悩んだりウジウジやってますが、その都度痛い思いをしたり恥ずかし思いをして、それで少しずつマトモな人間に近づいて行ってるんじゃないか、と思っているので、
この後悔と反省の日々も楽しむようにしています。

【赦し、忘れよう】

もし自分の感情をいつもおだやかに保つことができれば、
言葉や物事を悪く受け取ることは減りますし、
相手への態度もおだやかになります。

<嶋津良智『怒らない技術』より>



■ひとこと

相手の感情、特に怒りの感情に呑まれないほうがいい。

怒りの感情は心を乱す。
心が乱れると物事の本質を見誤りかねない。

物事の本質を正しく見ることが、より良く生きるための大切なポイントだとするならば、
心を乱すような要素への対処がとても大事だと思うんです。


では、怒りをぶつけてくる相手に一体どうやって対処すればいいのかしら…?


『私たちは聖者と違って、自分の敵を愛すのは無理かもしれない。
けれども、自分自身の健康と幸福のために少なくとも敵を赦し、忘れてしまおう』

これは、人間研究の第一人者であるD・カーネギーという人が残したメッセージだけど、
“赦し、忘れよう”と言っている。

決して「戦え、やっつけろ、排除せよ」とは言ってない。


そう、戦って仮に勝ったとしても、やっぱり相手側に恨みが残るんです。

恨まれ続けて、良いことはひとつもない。

だから、“赦し、忘れよう”。



■編集後記

いつも読んでくださり、ありがとうございます。

たまに誤解されることがあるので、あえて告白します。

いつもこのようなエッセイなんぞを書き綴っているので、
私をよく知らない人は私のことを
さぞかし“できた(円熟した)人間”だと勘違いしてくださるようです。

嬉し、恥ずかし、こそばゆいところですが、
実際の私は、ぜんぜん熟していないまるでデタラメ人間です(笑)

まるでデタラメ人間ですが、
“こうありたいものだな”と日々自省しており、
そのことを忘れないように記録している。

そして、
記録ついでに「私以外の人にとっても何かヒントになるかもしれないなあ」という考えでこうやって発信しておるわけです。


というわけで、
このエッセイはデタラメ人間による反省記という感じですね。

何のオチもない告白でしたが、
今後もご愛顧のほどよろしくお願いします (^O^)/
【気持ちの喪が明けたら】

人の人生には、必要がないことはひとつとして起こらない。

だから、今回の恥はあなたにとって必要だったと思えばいいだけ。

<斎藤一人/実業家>



■ひとこと

『なんで自分ばっかりこんな目にあうの?』

って思ったりすること、ありますよね。

でも起きちゃったコトは、もうどうにも引き返せない。


グチグチ悩むのもOK、
泣いて泣いてやけ酒食らうのもOK、
しばらく引きこもるのもヨシとしよう。


そして気持ちの喪が明けたら、
新たに生まれ変わった気持ちでやっていこう。

経験したことは、きっと心の中で自分の糧になっているはず。

以前よりもいまの方がより良くやっていけると思います。
【愛することを止めない】

人生における最大の悲劇は、

人間が死ぬということではなくて、

人間が愛することを止めるということである。

<サマセット・モーム/劇作家>



■ひとこと

人間ってのはどうも薄情なところがありまして、

自分の心の余裕がなくった途端に、人のことを思いやれなくなって、
つい不義理をしてしまったり、知らず識らず誰かを傷つけてしまったりするもんなんです。


でも、それが人間なのだから、
時に心無いことをしたり、言ってしまったりするのも仕方ないと思うんです。


大事なコトは、
自分の不義理に気付いたら、そのとき、サッと「あの時はごめんなさい」と言える素直さなんじゃないかな。

人への思いやり、
もっと大きくいえば“愛”ということになるけれど、

少しでも誰かに分け与えることができること、それ自体が豊かなコトなんだと思います。
【たとえ今はしがない自分だったとしても…】

臆病な自分の限界を打ち破る秘訣は二つある。

1.とにかく始めること。最初は小さな一歩から。

2.最初の第一歩を踏み出したら、次の一歩、次の一歩と進んでいくこと。

馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれないが、本当にこれしかないのだ。

いまやっていることに集中しよう。
自分の夢がどのような形で実現するかわからなくてもかまわない。
直感が示す方向を信じて進もう。

情熱、興奮、「内なる知恵」を信じていくうちに、何が幸福と充実感をもたらしてくれるかを見つけることができるだろう。

自分が何を望んでいるかがはっきりすれば、そこに到達するための道も見えてくる。案内役があなたを導いてくれるだろう。

<リン・A・ロビンソン/カウンセラー、作家>



■ひとこと

僕はあんまり人間の頭(特に常識ってやつ)を過信しないようにしている。

分別ある常識人から言わせたら、

「そんなのできっこないよ」
とか
「もっと合理的に考えろよ」

といった、もっともらしい意見なんかをあんまり信用し過ぎないようにしている。


何故か?

いまこの瞬間の現実を切り取ってみたら、
確かに“できっこないコト”なのかもしれない。
“馬鹿げたコト”かもしれない。

でも、人も環境も何もかも移ろうもの。
今日起きたちょっとした変化が、今日と少し違う明日を創り出す。

変化は可能性を生み出す。
変化は可能性を拡げる。


ならば、自らが変化の発信源になってやろうじゃないか。

たとえ今はしがない自分だったとしても、
しがない自分で終わらせてたまるか!