一昔前から、中国は色んなものをぱくる(真似する)ということで、話題になっていましたね。
「中国は真似ごとばかりだ」なんて思っているそこのあなた。日本も昔は中国の真似ばかりして
いたことはご存じでしょうか。
7~9世紀にかけて、まだ日本が倭とよばれていたころに中国に送られた使者の名前はなんでしょう。
はい。時間切れです。
正解は、遣隋使・遣唐使です。答えられたでしょうか。
この遣隋使・遣唐使の目的というのは、中国の優れた文化や政治制度を学ぶ目的で派遣
されていました。
そっくりそのままというわけではありませんが、中国のものを取り入れつつ
日本独自のものを形成していきました。
そうして完成したものが、「大宝律令」とよばれる現在の刑法や行政法にあたるものでした。
それまでの倭(日本)は、政治機関や地方統治など不完全なものばかりでした。
東アジアで昔から強大な力を持つ中国。これにならって、倭は完成された「国」を目指しました。
実際、「大宝律令」が完成した8世紀初頭には現在の「日本」という名が使用されるようになり
「大宝律令」の完成をもって、れっきとした国であるということを示したということが伺えますね。
日本という名の由来については、日本が中国の東に位置し、太陽の昇る方角にあったことから
日の元(本)の国から日本となったという説があります。
太陽が昇るのは西からでは?と思った方。それはバカボンの世界だけですからね。
「学ぶ」の語源が真似るからきているという説があるように、真似することは悪いことでは
ないと思います。
0から1は作れませんからね。しかし、真似するのであれば、それなりの完成度にしてから
公表をしてもらいたいものですね。
それでは、また。
わっきーでした