witsに来てもう少しで1年が経ちます。たつクンです,こんばんは。
この学校にいて皆さんからよく聞く言葉の1つに「寂しいのはイヤ」「1人ボッチはイヤ」というものがあります。前後の話を含めて考えてみて言いたいことをまとめると,「1人ボッチは寂しい」「いつも隣に誰かいて欲しい」「沈黙は気まずいからずっと話していたい」というところでしょうか。
私は皆さんの倍くらいの齢だからか,寂しいという感覚に多少のズレがあります。私自身は,物理的に横に誰もいないことに寂しさを感じることは少なくて,むしろ,誰かが傍にいるのにどんなに近付く努力をしても(物理的にも心理的にも)結局,人と人とは100%解り合うことはないんだろうなぁということを実感する瞬間に孤独を感じます。そしてそれは,独立した生き物である以上,当然のことなんだろうとずっと思ってきました。100%理解し合うことはないからこそ,言葉を尽くして気持ちを伝えて,相手を理解しよう・理解したいという気持ちが生まれるものなのかなと。逆に,価値観やモノの見方が全く同じ人間がいつも隣にいるとすれば,ひどく息苦しいだろうなと(笑。皆さんはそんなことを感じたことはありますか?こうした感覚はごく個人的なものかもしれませんが,私が皆さんと同じ高校生の頃からずっと持っているものです。
価値観や世界観の違い,生活様式の違い,宗教の違い…。これらが「根本的に相容れない状態」である場合,「そもそも話をすることもできない」と相手を切り捨てるのは簡単ですが,私は話を通じて相手との距離を1歩でも縮めることができたらなぁと思います。それは理想論であって,現実味がないと言われるかもしれません。まして,私はコミュニケーションをとることがあまり得意ではありません。それでも未だにこの気持ちを捨て切れずにいます。人と人とを繋ぐ言葉を大事にして生活しています。
寂しい気持ちは心の中のどこからくるものなのか…。じっくり考えてみたことはありますか?人って実はとってもシンプルな生きものだと思いますが,本当の寂しさや孤独はそんなに分かりやすいものではないと思っています。そして,私にとって孤独はそんなに嫌いなものではありません。寂しさについてまたいつか話ができたら良いなと思います。
追伸:前回のブログで紹介した写真の花ですが,インバチェンスではなくて日々草だということをカンペール先生のお母様からご指摘いただきました。有り難うございます!!色々な方がご覧になっているこのブログです。