『さよならもいわずに 』上野顕太郎(ビームコミックス)は何十回も読み返しており、

息子と私の間で背中のネジをキリキリ巻くとか、「オーク」「ウルクハイ」とか、「サパリー夫人」は家族を確認する合言葉になっているくらい。

なぜそんなに読み返すかと言えば、読むたびにわかることがあり、何度読んでも惹きつけられるから。亡くなった奥様のキホさんは鬱で苦しんでもいたということにも惹かれるというか共感できるというか…。

きょうは洗濯3回転しちゃったよ、とセリフを覚えてしまい、気がつくと口にしているというくらいよく読み返している。



私はずっと1993年6月某日のまだ若くほっそりしたキホが作者にさようならと言い、カリンのことよろしくね、というのを読み流してしまっていた。

2004年暮れにキホちゃんが亡くなったときに小4のカリンちゃんは2003年にはまだ生まれていない。

作者は若かったキホがさよならを言いに来てくれた夢を見たのか。過去にキホが思いつめたような瞳でさようならを口にしたことがあった、そんな気がしたのか。物語としての演出なのか。

もちろん正解が知りたいわけではなく、きょうは気づいてよかったと思っただけです。


数ヶ月の時間の経緯を表す小さなコマの中に入江喜和の『昭和の男』を発見する。

『さよならもいわずに』を初めて読んだ時はまだ読んでいなかったので目に入らなかった。

また少ししたらまた違うものが目に入ってくるんだろうか。

父の葬儀の時はすべて弟夫婦が手配してくれたので、父と私で準備した母の葬儀を思い出したりして、チクチクするところもあるマンガなのだが、目に入るとつい読んでしまうのであった。