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きょう宮古市に出かけたのは、

岩手県立美術館 館長講座2015 in 宮古

岩手県立美術館×岩手県博物館

第1回
「なぜ被災した資料を再生するのか」
―文化財レスキューの現在と展望―


こちらを聴くためでした。



どうしようかな~と迷っていたところもあったのですが、
きのう美術館ボランティア仲間とお芝居の会場でばったりあって、
開場までの待ち時間に、

あした宮古に行ってくるべさ!と口走っていた私だった(笑)。
なぜだろう、なんでこうなるんだろう、といつも思うけど、
言ってしまったからには行かなくては!と人生毎日が走れメロス状態だ。おかしい。

そして気が付いたらアクセルを踏んで、国道106をダーッと走っていました。
(国道106をひたすら走れば宮古市まで一直線だった)
国道沿いの緑がなだれ落ちるようで見事だった。


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開場は宮古市立図書館。

息子は最近、戦争の本にはまっているので、ノルマンディー上陸作戦の本を読んで待っていることに。
その時の気分で講演を聴くこともあるが、このときはノルマンディー上陸優先だったもよう。


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いつもギリギリな私だが、その反動で早く来すぎることがあり、
開場は30分前かな~と思いつつ階段を上がっていったら、

岩手県立美術館の館長さんをはじめ、美術館の方がいらっしゃるじゃないですか。

「菅原さんじゃないかなあと思っていたんですよー」

とどうやら私が駐車場が満車だったため、ちがうパーキングをもとめて出ていくところを
目撃されたもよう。

遠くまで来てくださって、と感謝されながらも、私はドキドキしていました。

このドキドキは開演5分前になって視聴覚室に入っていったときも、講演を聴いている間も、
終わって出る時もつねにあり、

なんでドキドキするのかといえば、


私なんかが聴いていいのかなあ。

という忸怩たる、というと言いすぎだが、落ち着かない気持ちがあったんですね。


だって私は宮古市のひとじゃないし。

というよりなにより、震災にまつわるお話を伺ったり、その地に足を運んだりするとき、

内陸の盛岡に住んでいて被災もしていなくてすみません、という気持ちに襲われるのを
いかんともしがたい。

でも盛岡の友達と話したら、やっぱりそういうチクチクした気持ちになる、と言っていたので、それはもうそういうものだと思うことにしたい。

チクチクしたりしているヒマがあったら、ボランティアに通うひとの方が断然建設的で、
そういうひとに会うと、尊敬する。

私は恐る恐る、2012年になってから被災地を訪ねる、ただ訪ねているだけで、
ボランティアをするわけではないのですが。

その後、せっかく図書館にきたんだから、と私も1階の児童書コーナーで絵本をよんですごす。
(結局開演5分前になって2階の視聴覚室へ…)

はじめて入った宮古市立図書館の視聴覚室は、赤いカーペットと木製の椅子と簡易テーブルがついていて、教会のミサを連想させた。



最初に、美術館館長から、3.11から1週間ほどで博物館が大混乱の中で動きはじめたと耳にはいってきた、という当時の状況を振り返るお話があり、

博物館の赤沼英男さんから被災地に入って、どのような作業をしていたのか、というお話につなげられた。


★★博物館のレスキュー★★





スライドに巨大地震の発生を如実に語る、釜石市橋野鉄鉱山跡の高炉場跡の
画像が。

これは釜石市の観光スポット案内の画像ですが、私たちがみせられたスライドでは、
巨大地震のためにこの1.2t~1.5tある石がずれ、接地したところが破損していました。
(いまは修復されています)

安全なところに避難したのち、被災したひとが撮った大津波襲来のスライドもありました。





◆救出活動◆

3/24 情報収集

3/30 陸前高田からSOSが入る

4/2 救出へ

ビニール袋に包んで4500点を救出し、その日のうちに県立博物館へ運び出す。

詳しくは語られませんでしたが、その救出活動はどれほどの困難を伴う作業であったことだろうと。
泥の中から救い出すこと、ビニール袋に包むこと、それを損傷のないようにして車に積み込み、その日のうちに盛岡まで戻ること。

◆1次レスキューと2次レスキュー

1次レスキュー 安全なところへうつす

2次レスキュー 後世に長く残るようにする




◆安定化処理◆

1次レスキューにより、救出した資料は、カビの発生や欠落などにもまして、

海水をかぶっていること

が問題になりました。


20年前の阪神淡路大地震では、大津波はなかったのです。


除菌、除泥、脱塩、脱臭などの安定化処理はまだ確立されていなかった。
やりながら方法を構築することになったのです。




まず最初は泥の中に入っていた資料をひとつずつビニール袋に入れて救出する作業。

つぎに資料を分類する。


いつ、どこで、どういう方法で、作られたか。

それが明らかになったところで、

資料の保存方法や修復方法を決める。


☆ 選別 水で洗える
水で洗えない→冷凍

資料の中でも古文書が一番最初に、レスキュー方法が確立されたそうです。

(古文書は墨で書かれているので、水にあったら消えちゃうんじゃないか、と思っていたのですが、
墨は消えないそうです。水洗いに耐えられるそうです。

逆に油彩画などはキャンバス布が洗うことで均一ではない伸縮をするので、画材が剥離してしまったりするそうです。)


この選別から修復までの作業工程は21行程あるそうです。

☆水洗い。古文書は水洗い可能

☆カビ (絵馬で検証し、方法を確立した)次亜塩素酸ナトリウム水溶液(400~600ppm)

これが何かというと、プールに入っている消毒液とか怪我をしたときにつける消毒液などで、
人体に悪影響のない薬品。

☆脱塩 1週間水素水による脱塩を行う。24時間ごとに水を取り替える。
のちに観賞魚の水槽につかうポンプによって、5日間に短縮

☆砂 メガネの超音波洗浄機をつかって砂を取る

(ああ、これはしっかりわかります。なぜなら8年間メガネ店に勤務していたからですよ)

☆付箋紙 クッキングペーパーでつくった付箋紙をページの間に挟み込む

☆凍らせる 真空冷凍乾燥処理を行う。

フリーズドライといえばインスタント食品づくりにつかうものですが、
それによって、水分を一気にとばし、40~50冊乾かせるそうです。
また、付箋紙のおかげで乾燥速度が速くなるそうです。

☆EPMA分析による脱塩効果のチェック

☆燻煙

☆点検・分類



何かが起きた時のために、特に貴重な資料はデジタル化を行う。
(文字記録データを残す)


◆盛合家住宅の扇面貼交屏風の修復



ふすまの裏張りをはぐとなぜか裏張りがしてあった。
廃棄せず、一枚一枚取り出し、

この裏張りに使われていた古文書も微少資料として分析する。
2双72枚の扇面のふちが緑色がかっているので、東京文化財研究所に脱塩後分析を
してもらったところ、

中の銅が酸化して緑青が発生したものであり、
金箔ではなく、江戸中期以降流行した真鍮箔だとわかった。


これは水洗いできないので、

サラシ粉をつかって、塩分を遊離させすこしずつ、7日間以上かけて脱塩する。

◆絵画◆

ここからやっと絵画に入った。
なんでこんなにおそくなったかというと、
油彩などはキャンバスが伸び縮みするので、手がつけられなかった。

キャンバスに描かれた油彩画の脱塩方法にはゲル状の物質、寒天がつかわれた。
寒天の水分の力で、キャンバス地に残っている塩分をとりだす。



★★美術館のレスキュー★★

ここから原田館長にバトンタッチ。


◆石巻文化センター◆

仙台・宮城県が中心になってレスキューした。
また全国美術館会議の協力もあった。

石巻文化センター

公立美術館員が盛岡へ
関西の人が多かった


穢土の中から救出

塩抜き

応急処置後の作品は、一般の収蔵庫とは別に保管。

脱塩がいちばんむずかしい。

洋画は明治以後150年の歴史しかないので、
どのような処置をすればいいのか確立されていないということだった。



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石巻文化センターにあった、「ラムセスにまつわる記憶」(舟越桂)を、今年の
6月に兵庫県立美術館で見て、そのときに舟越桂さんがギャラリートークで、

泥の中に横に倒れていて、しかし奇跡的に破損のなかったこの彫刻のことと、
その後、被災地に何度も足を運んだことや、そのなかで話をした小学生のこどもの言葉などを
きいたことを思い出した。

◆陸前高田市体育文化センター◆


いま岩手県立美術館の常設展示室のまえにたっている、
「岩頭の女」の像は、震災まえは陸前高田市体育文化センターの敷地に、

大きな高い石の上に設置されていたものだった。

スライドではじめて見上げるような高さにあったことを知った。
5mと聴いたような気がする。5m。そんな大きな重い石が津波で動いたんだ、と思う。

スライドの中で一番ショッキングだったのは、「岩頭の女」が担架のようなものに乗せられて、
大勢の人がそれを取り囲んでいるところ。

まるで、遺体のようだった。遺体とまではいかなくても、重体の人のように思えて痛ましかった。

それが現在の岩手県立美術館に、失われた両足首と足のかわりに長いボルトで台座に止められている
「岩頭の女」のスライドをみたときには、

立派な顔をしているなあ、

と思ってしまったのはなぜだろう。

修復して足をつけたりしないで、この状態で立たせてくれと原田館長は願い、
いまそうなっている。いつも堂々として立派だなーと思ってみている。裸婦像なんだけど、男性的な力強さがあって、観音像のようだなーと思う。

◆なぜ修復するのか◆

歴史をつなげていいく大切な資料を守っていくこと。

20年前の阪神淡路大震災からなにが変わったのか。

☆個人・民間・公的の枠を取り払って、救出できるものはすべて救出

国宝・重文は数百年の長い時間をかけて認められたものが選定されている。

被災地の資料は江戸以降のもの、国指定のものは少ないため、
枠を設けることが将来どんな不幸をもたらすか。

その土地のおける時代の空白が生じてしまう。

それを回避する必要がある。


☆地域と国とアジア

・その地域がどういう地域とかかわり、どういう地域から文化・技術をもらってきたか。

困難にあったとき、どうやって立ち直ってきたか、重要なヒントを与えてくれる。
・・日本だけではなく、外国にこれから大きな災害が起こった時に、
この修復が恩返しに役立つ。

・できるだけ多く、広く、情報発信し、交流をはかる。

・被災を記憶として残す。

・「岩頭の女」 いい彫刻に生まれ変わったと積極的な意味をもって見るひともいる。


☆文化財レスキュー事業の成果 (2016/1/23-4/17)

県立美術館常設展示で企画




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講演のあと、

この「アートのチカラ、いわてのタカラ」の図録をいただいた。

私はこの展示をみてなかった。

2011年は美術館に行かなかったと思う。



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この「あーとキャラバン」のとりくみは知っていた。

この頃私は美術館ボランティアには登録していなかったけれど、美術館のグランドギャラリーの大階段から、
その先の光のギャラリーの前にいっぱいならんだゆめのまちのことは覚えている…。

講演を聴きながら、2012年から2015年にかけて、
訪れた被災地のことを思い出していた。

いろいろ忸怩たる気持ちに襲われるのだが、私はただもともとすきな場所に
出かけたらそこが被災地になっていた、ということが多かった。

水族館がすきなので、ラジオでできたばかりのアクアマリンふくしまのことを
聴いてからずっと行きたいと思っていたのだった。
震災後、どうなっただろう、と思って、ネットで調べて再オープンしたと
わかって、「若冲が来てくれました」展と伊達ももの里マラソンとあわせて
見に行った…こういう欲張りな自分にも忸怩たるものはあるんですけど。


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石ノ森萬画館にて☆震災、女川町


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震災前にも行ったことがあった石ノ森萬画館。

リニューアルオープン間もないころに行ったと思う。


東日本大震災についての展示もあり、震災からリニューアルオープンまでの

間、小さなイベントを繰り返し行って、子どもたちの支えになろうとしてきたことを知った。




女川町にて1


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女川町つながる図書館訪問

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こどものころから本がすきだったので、図書館づくりの

寄付で復興支援ができるなら、と思って募金して、


そのお返しにこの女川のガイドと図書館を見学させてもらった。



陸前高田市~地図に描けない場所


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お芝居を見に行ったのだった。陸前高田市が舞台のお芝居を盛岡でやって、

陸前高田のお寺でもやるということだったので、まだ行ったことのない陸前高田へ行こうと思って。


お芝居のセリフにある通り、地図に描けない場所だった。



鵜住防災センター。 (2013・6・18)


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生協の被災地支援のためのツアーだった。

震災の爪痕を残すべきか、見るのもつらいというひとがいるし、

維持にもお金がかかるから、取り壊すほうがいいという意見もある、


そのお話を聴いたのは女川町を訪れたときのことだったが、

この建物を見たとき、そのことが思い出された。

現在は解体されているが、釜石市のHPから画像をみることができる。



釜石。


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岩手県立博物館の文化財科学専門の赤沼さんと

岩手県立美術館 館長のお話を伺いながら、


自分が見たことや感じたことを思い出して、


「なぜ被災した資料を再生するのか」ということを、

自分の中で消化しようと思います。