「うちの欲しいのは、革新的なものだけだ。見る人に問題を提供して考えてもらう。
それが美術館というものだ」
これは大原美術館の創設者、大原孫三郎の長男でありあとを嗣いだ、
大原總一郎の言葉です。
お父さんの孫三郎は児島虎次郎の目を信用して(自分は西洋画にはそれほど興味がない)、
「カエ」
の一言でエル・グレコの「受胎告知」を電報いっぽんで買わせますが、
總一郎は自身の見識があり、
「カエ」
にも、
「それが美術館というものだ」
にも、
プライドを感じます。痺れる。
ところできょう私の心臓がいちばん痙攣したのは、
「陽の死んだ日」熊谷守一。
前から見たかった絵のひとつでした。
貧しさの中で薬も買えず医者にも診せられず陽が死んでしまうのをみているしかなく、
死んだ愛児を前に守一には絵を描くことしかできなかった。
そのエピソードを知らなくてもこの絵の迫力の前に言葉を失っていたのか。
盛り上がりまだ乾いていないようにみえる、絵の具のうねり。沸き立つなにか。
画集で見ていてはわからない絵でした。
萬鉄五郎の「雲のある自画像」、
これも總一郎が蒐めた絵ですが、
岩手県立美術館にあるおなじタイトルの絵とは色も表現も異なり、
ありえないことですが、
両者を並べて見たくなりました。
岸田劉生の「童女舞姿」、藤田嗣治の「舞踏会の前」など、
枚挙にいとまがないとはこのことですが、
特に日本の洋画には見識を感じました。
總一郎は勧められた黒田清輝の絵を、
「要らん。うちの美術館には要らんのだ」
と断り、その「舞妓」が重要文化財に指定されてもびくともせず、
「そんなものは役人が決めただけだ。わしの考えとはちがう」
と言い切ります。
孫三郎が「いちばんの傑作」と認めた總一郎。
大原美術館の本館には目がぎょろりとしてみるからにただ者ではなさそうな孫三郎と、
透きとおるように頭の明るそうな總一郎の肖像写真がかけてありました。
あの朗らかそうな總一郎の口からバシッと、
「要らん」。
「わしの眼は十年先が見える 大原孫三郎の生涯」、
きょう大原美術館で出会った館員の方々の表情や言葉が重なって、
また、あの絵を「カエ」と言ったか、と思ったり、
いいタイミングで読んだな!とわれながら思います。
iPhoneからの投稿