鰯、あんまりたべてないなあ。
子どもの頃は中骨がゴリゴリするつみれ汁も丸干しもしょっちゅう食卓に出ていたんだけど。
(ゴリゴリするのはつみれを中骨ごと叩いて作っていたからで、フードプロセッサーもない時代だったとはいえ、喉が痛くなるおかずとはいかがなものか)
おかげで頭も顔も悪いが、骨だけはご立派にねびまさりけり。お母さんありがとう。
というわけで朝のうちに鰯の生姜煮をつくってみました。
アクでお湯がどんどん濁るので、正解かどうかわからないけど、何度かお湯を取り替え、
生姜も惜しげも無くタップリいれて生臭みを消すように…
ぼちぼちアクもなくなってきたかなというところで、醤油と酒と味醂で味付けして、かるく煮てから放置。
帰宅したら味がしみこんでました。
母の作っていたやつはもっと醤油の色がつよくて味もしょっぱかった。外で働く父と祖父の好みが味付けの基本だったからだろうか。
それとも昔は岩手内陸の、あまり流通の整ってもいない時代だったから、
魚の鮮度が悪くて味を濃いめにしていたのだろうか。
自分の舌にはこのくらいがちょうどいいのだけれど、しょっぱくて苦手だった母の煮魚をもう一度味わって、
やっぱり自分で作った方がおいしい、と思いながら懐かしんでみたい気もするのである。
大食いの私しか知らない人からしたら信じられないだろうけど、
子どもの頃は煮魚ダメ、刺身ダメで焼いた魚だけOK、野菜全般すきじゃない、鶏肉がきらい、牛肉はそもそもたべたこともない、
というような偏食だった。しかしあれも今思えば、鮮度の問題と濃すぎる味付けが原因だったのでは…。
ハタチで一人暮らしをしていたときに魚も料理するようになり、
おいしい。
と思うようになり現在に至る。
いろんな健康によさそうな料理が食卓に並んでいたな、
という記憶も辿りすぎると物悲しいものがあるな(笑)。
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