12/29の「LLPW-X~新たなる旅立ち~ハーレー斉藤引退試合」を見に行って、
神取忍にサインをもらった本。これがほぼ本名というところがカッコいいね。本名は神取しのぶ。
神取忍といえば女子プロレス、という感じの帯(でかい帯なんです)を外すと、
「負けても負けたふり、勝っても勝ったふり、それが人生だ」
という言葉がある。負けても勝っても、それが自分の本質を変えることではない、という意味なのかな、と浅く考えたけどわからない。
さて、
神取さんは見た目もサッパリしているけれど、実際にお目にかかってもサッパリして明るい。
いじめられたこともいじめたこともないだろうなあと思ったら、
「わたしの経験」のなかで、
「おおむねみなさんの予想通りだろうけど、わたしはいじめられた記憶がない」とあり、そりゃそうだろうと思った。
1964年生まれの神取さんは荒れる中学校の少し前の世代で、
中学校では厳しい先生が悪いことをすれば体罰をしたし、クラスにはガキ大将がいて、ひどいいじめは起こらなかったという。
もちろんガキ大将も神取さんではない(笑)。
ひどいいじめが報道されるようになった頃、神取さんは柔道で、のちには女子プロレスで生キズの絶えない日々を送っていたため、
いじめ報道にピンとこなかった、と正直に振り返っている。
そんな神取さんが強く記憶しているのが、2007年7月に起こった兵庫県の高3男子のいじめ自殺事件。前年に参議院議員となって落ち着いたころだったという。
高3だったらあと少しの辛抱じゃないかと思ったことは、浅い考えだった、と述べている。
私が思い浮かべたのは、全然ジャンルは違うのだが、
「3月のライオン」のちほちゃんだ。
ある日いわれもなく同じ班の仲間から疎外され、嫌がらせを受け、とうとう転校せざるを得なくなるまで追い詰められて、
転校してしばらくたったいまでも学校にかよえず、心のケアを受けているものの、中学生の女の子をみると固まってしまう。
2007年のいじめ自殺事件の時にはあと少し我慢すれば、と思ってしまった神取さんだが、
いまでは我慢すれば、卒業すればという考えには反対だ。
「傷つけられた誇りは決して回復しないってことが問題なんだ」という。
いったん折れた心は、そう簡単に元に戻りはしないんだよ。
ということで、
神取さんが勧めるのは、いじめの証拠を記録する方法。物的証拠を遺そう、というものだ。
そろえた証拠の管理方法、学校側への報告、法的手段、最終手段。
物的証拠を集めることで、いままでやられっぱなしだったいじめられている子どもに希望を持たせ、武器を授ける作戦でもあります。
もちろん、性格的にどうしても相手に反撃できない優しい子どもがいることもわかっていて、緊急避難としての不登校を勧めてもいます。
神取さんはやっぱり政治家なんだなーと思ったのは感情ではなく、理性でいじめに対してどう動くのがいいかを語っていること。
あとがきがよかった。
格闘技がほんとうにすきで、十代二十代の頃は死ぬんじゃないかと思うほどハードなトレーニング(それはトレーニングと言っていいのか)を積んでいたという神取さんは、
当時は何を犠牲にしても自分だけが強くなりたかった、
弱さは常に否定されるべきものであり、打ち勝たねばならないものだったと。
強くなるにつれて、自分の弱さ、弱点がよりはっきりみえるようになり、
強さと弱さが表裏の関係にあること、弱さに思いを致さない人生は本物じゃない、いまの自分はそういう思いで生きている。
弱さに思いを致さない、
は言い換えれば、
いじめられて苦しんでいる人や、障害があるひと、なんらかのハンディを背負っているひとであり、
自分には関係のないこととして通りすぎる人生は本物じゃないということだろう。
いじめについて書かれた本にはちがいないけれど、
わたし的にこの強くなればなるほど自分の弱さに気づく、
弱さに思いを致さない人生は本物じゃないというあたりが響いた本でした。
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