シープラザ釜石の古本屋さんにて買った本たちですが、
新書も単行本も200円のシールが。
あ、でも店頭にあった手塚治虫のコミックは400円でしたし、上原きみ子のコミックも400円だったので、200円均一のお店ってことではないと思われます。
「無銭優雅」 山田詠美 (幻冬舎)
図書館から何回も借りて読んでいて、文庫本にもなっているんですが、
装幀は鈴木成一デザイン室で、この本の形で手に入ってうれしい。
「イソップ寓話 その伝承と変容」 小堀桂一郎(中公新書)
子どもの頃、うちにはあまり本などなかったんですが、
小学館から出ていた子ども向けの名作全集ものの1冊で、イソップ童話を読んでいたんです。
教訓くさいとかそういうことはあまり気にならなくて、
たぶん、
誰にでもある心理を動物の姿で寓話に仕立ててあるのがすきだったみたい。
あれは一般常識的なもので、ふだんのたとえにも「ウサギとカメ」や「アリとキリギリス」、「オオカミ少年」など出典など忘れるくらい無意識に引用されています。
でもイソップ寓話ってなんだろう、と改めて聞かれたら、
ギリシャの奴隷にイソップという人がいて…で話が止まってしまいます(笑)。
日本には江戸時代に入ってきて、もしもしカメよカメさんよ♪という歌でも知られるようになっている、
くらいしかわからへん。
小堀桂一郎は鷗外の孫のひとりですが、なんとなく、こういう体系づけるところが、ああ、お孫さんだなあと思ったり、
急に昔すきだった本(学校で本の少ない国に送るだったか、そういう取り組みがあって、
当時から変わり者の私はいちばんすきだった本を出したんでした。なんということだ。親も止めなかったしな)が懐かしくなる、ありがちです。
カラスが森の鳥たちの羽を集めてどこにもいないような鳥の王様になり、すぐに正体を看破られて追放される、というお話はカラフルですきだった。
息子が通っている小学校の図書室にもあって、手にとったこともあるけど、
いま読むとそんなに挿絵も文章も心惹かれるものでもないんです。
当時は何十回も何百回も読み返していたのになあ。
保育園時代に買ってもらってから手放すまで5、6年ずっと。
だったらなぜ出したのか。
それはこの世界には本に恵まれない子どもがいて、その子がこの本を読んだらきっとうれしいだろうと信じていたからで。
今思うと本に恵まれない子どもとは己自身じゃ、という感じだったんだが、
当時は自分が持っているものを全部差し出せるのが優しさだと信じていて、
「星の金貨」がバイブルだったのです。
けっして「幸福の王子」じゃないのよ(笑)。
優しさを差し出し続けたら、最後には天から星の金貨が降ってくると信じていた、気がします。
童話を信じていた。
いい行いが報われないなんてことがあっていいはずがないと思っていたもよう。報われない方が多かったんだけどでも。
優しさとはなんぞやと問われたら、
昔は自分が余分にもっているものはとにかく差し出して相手に分けることだと思っていた。
いまはいろいろ考えてしまいますね。
相手が差し出す「善意」を全部受け取れるのかと言われたら、必ずしも「諾」ではない自分がいたりするから。
「イソップ童話」(寓話という言葉はあとから知って当時はアンデルセンやグリムと同一視していた)には、
よーく考えてみると優しさを扱ったお話はない。
見栄っ張りだったり、調子がよかったり、ズルをしようとしたりして、恥をかいたり、余計な苦労をする羽目になったりするお話ばかりだ。
その辺がしじゅう、優しくありたいが気持ちが相手に伝わらない、
で悩んでいた子どもには心地よかったのかもしれないなあ。
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