釜石駅がブルーシートをかぶって工事中だったことや、
(トイレなどの改修中だった)
釜石駅から遠野方面に向かう、町の道路沿いに立てられていた、
自衛隊やボランティアへの復興支援感謝の言葉。
道路飛び出し注意、などの看板がよく町内会であるでしょう、あの看板に感謝の言葉が書いてありました。
ポスターはシープラザ釜石の観光案内所に貼ってあったもので、
虎舞の写真にちょっときた。
息子が保育園の年長さんで運動会でやったものだから。
園児たちの虎舞は可愛らしかった。
遠野から花巻に入って高速に乗るまで、
あの日のことを思い出しながら走っていました(ここで走っているのは車です)。
息子のクラスではみんなで作った白い椅子の裏に、2011.3.11と記念の年月日を入れたところでした。
そのあと、地震があって預け先の方がお迎えに来て、
「お母さんが迎えにきたね。コンビニが大変なことになってたね。
でも楽しかったね」
そう、ずっと恐怖や不安ばかりだったわけじゃないんです。
「ぼくはあの時電気の素晴らしさを知った」
と息子がパッと輝くような笑顔で言い、そうだった、私も電気が点いたとき、
終戦で灯火管制が終わり、家じゅうの電気をつけて喜んだ「マー姉ちゃん」(「サザエさん」の長谷川町子さんの姉妹がモデルの朝ドラ。)を思い出し、
家じゅうの電気をつけずにいられなかった。
かまいし仙人峠マラソンの前日に、
「もりげき8時の芝居小屋」で釜石の劇団・青い海の「亡霊ー釜石艦砲射撃余録ー」を見たことも重なり、
その前にみた「震災タクシー」も思い出され、
何をしていても、地震と津波、原子力発電所のことを忘れることはないだろう、
と思ったです。
「亡霊ー釜石艦砲射撃余録ー」は川畑安彦さんの語り芸でして、
またべつの記事にしようと思っているのですが、
お芝居が終わったあとのトークで川畑さんが、
昭和20年7月14日、米国による釜石艦砲射撃で亡くなった人の数は約1200名。
2011年3月11日の震災による大津波で亡くなったひとは約1100名。
とおっしゃっていて、
そのことも重ねあわされました。
雨が降りしきってフロントガラスは曇りがちで、
ワイパーの向こうにぼうっとした対向車のライトが、
蠟燭の灯火のように連なっていました。
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