目を覚ませ目を 覚ませ 思い知っただろう
世の中なんてやきもちやきばかりあきらめさせて喜ぶ そうで しょう
(「くらやみ乙女」by中島みゆき)
恋歌なんですが、
お前が消えて喜ぶ者にお前のオールを任せるな (「宙船」)
と並べると、
べつの解釈もしてみたくなる。
暗闇に紛れて逢いにゆきたいような(おそらく)一方通行の恋を「あきらめさせて喜ぶ」世の中とは、
戦う君の歌を 闘わないやつらが笑うだろう (「ファイト!」)
と同じものであるし、
「背中にガラスを振りかける」(「裸足で走れ」)
世間でもあるのだ。
だから、
暗闇に紛れて逢いに行く相手は、片恋の相手ではなく、
自分自身なのではないか。
「血のように紅い服であなたに逢いに行くよ どんな暗い夜でも見失うなんてありえない」(くらやみ乙女」)
それは「重き荷を負いて」のなかの、
「這い上がれ 這い上がれと自分を呼びながら 呼びながら」や、
「ララバイシンガー」の、
「どんなひどい雨の中だって自分の声は聞こえるからね」
とも重なる。
野暮を承知で言い募らせてもらえば、
「あきらめさせて喜ぶ」世間に屈する自分に「お前のオールを任せるな」
と暗闇に紛れて逢いに来るのは、自分の中のもうひとりの自分なのではないか。
自分が本心を忘れて、楽な流れに身を任せようとするとき、
「あぶな坂」以来の、紅い服の乙女がかけて来るのである。それがみゆきぞ。(そうか?)
「黄色い犬」のなかの、
「男のことだと思うでしょ 女の話に思うでしょ
言えない危ない話なら 騙りと譬えは紙一重よ」
のフレーズがすきだった。
ストリップの際どいところを見ているようで、ヒリヒリするようだったのですが、
恋歌と思わせて社会風刺だったり、童話のような歌詞に針を含ませていたり、
だまし絵のように黒白が反転して浮かび上がってくるものがあるのが、
みゆきさんの歌の世界なのです。
(以上30年ほどファンの一考察でした。きっと うん?そうかあ?だろうなあと思いながら書いてみたです)
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