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『「ら抜き」の殺意』(永井愛)の登場人物みたいですが、
ら抜き言葉や間違った敬語、ことわざ、慣用句が気になります。
見れる、来れる、着れる、居れる…
お待ちしてください(お待ちください)
とんでもございません(とんでもないことでございます)
(目上の人に)ご苦労さまです→お疲れさまです
的を得る(的を射る)
汚名挽回(名誉挽回、汚名返上)
「お」をやたらつける
おコーヒー、おハンカチはギャグみたいですが、
本気で「お暑い」という人がいるんですね。
お熱いお二人さん、ピューピューみたいな冗談っぽい雰囲気で使う言葉と混同してしまったのかしら。形容詞に接頭辞をつけるなんて、感覚的にむずむずしないのかなあ。
例:テレフォンショッピングで、「お安くなっています」
→「お求めやすくなっております」
誰でも知っている言葉ばかりなんですが、なぜ無造作につかうのか。
一時流行った、
なにげに
も、
何気なく、でいいじゃん、と思っていました。
でもまずめったに指摘したりしませんわ。
永井愛の戯曲では間違った言葉遣いゆるすまじの、じつは国語の先生が訳ありで深夜のアルバイトに応募してくるんですが、
会社員と身分を誤魔化して(公務員のアルバイトは禁止ですから)いる後ろめたさもあってなのか、やたらと周りの人たちの言葉遣いの間違いを指摘する。
言葉遣いが間違っているのはじつはすごく気になるのだが、
世の中そんなひとは少数派なので、私は聞かれたら答えるけど、ふだんは言わないなあ。
いい年をして、
「ご苦労さま」
をなんのためらいもなく口にできるひとがむしろ羨ましい。
だって彼・彼女たちはストレスがないんだもん。聞いてしまったこちらは、
あ、間違ってる、でもいまさら言われてもきっとおもしろくないだろうし、
と悶々する。
昔高校の先輩に言われたのは、
目上・目下にかかわらずおれはいつもお疲れさまですと言うよ。
という言葉で、言った人の顔も名前も覚えていないが、以来、ご苦労さまは私の辞書にない。
ただ、
こういう間違った言葉遣いはしたくないなあ、という感じ方はひとによってセンサーがだいぶ違う。
昔の勤め先で、体育の先生が校内球技大会の注意事項をまとめたプリントに、
「校庭をみだらに通り抜けない」
と書いていて、焦った。
「みだらに、じゃなくて、みだりに、ですよ」
とおそるおそる指摘したんですが、そのあとも毎年、
「みだらに走らない」
でした。気にならないひとに注意したって無駄なんだと悟りましたね。
淫らに走るってストーリーキングかよ!と思ったけどね。
じゃあ、自分は完璧正しいのか、間違ったことはないのか、
え!どうなんだ!
と言われそうですが、まあ、気をつけてはいるが、
思い込みの激しい人間なので、なにかかにかやっているかもしれない。
でも、
正しい言葉遣いをしようという気持ちはいつもある。
ただ、正しい言葉遣いをしようと思うあまり、人の言葉遣いを咎めて傷つけたり、不快な思いを抱かせたりしたら、それは言葉の本来の意味から外れるとは思っている。
言葉は自分の考えていることを相手に伝えるものだから、言葉遣いの枝葉でもめて会話が止まったら、それこそ、話にならないもの。
ではでは☆