
きょうは 肴町にある、いわてアートサポートセンター 風のスタジオにて、
黒猫舎の「イーハトーヴからやってきた三つのお話」を見てきました。
盛岡劇場はよく知っていたのですが、肴町のどこかなーとうろうろ。風のスタジオは3Fなのですが、エレベーター前の水色の扉が風のスタジオっぽいでしょ。
岩手県生まれの宮澤賢治の童話をお芝居にしているので、小学校からもチラシが入っていたのですが、
(ちなみにいま小学校では「雨ニモマケズ」と光太郎の「岩手の人」を暗唱するようになっていて、息子さえ暗記してしまい「サフイフモノニ ワタシハナリタイ」とか言っている)

黒猫舎は女性だけの劇団で、今回のお芝居だけだったら申し訳ないが、
お芝居のはじまりは全員黒の服をきた9人の女優だった。
9人の女優って、ギリシア神話の9人の芸術を司る女神みたい。
舞台の冒頭は、
賢治の童話集のまえがきが私は非常にすきなんですが、
その前書きを女優さんたちがひとりひとり、あるいは全員で語り、
ああ、やっぱりあの前書きをすきなひとは私だけじゃないんだ、とそこで感動。
でもほんとうにいい文章なんですよ。
「狐と土神」
気障でディレッタントの狐と、気持ちをうまく伝えられない土神、清純可憐な樺の木の三角関係。
鼻持ちならない狐が樺の木の気を引こうとして話す星のことがなぜか、印象に残る。
狐は賢治のもうひとつの自分像であったのかもしれないと思わせられた。
土神のすり足の動きは、能の舞をみているようだった。
衣装や音楽が素焼きの鉢を叩いたり、東南アジアの民族楽器と思われるものだったり、
素朴な音や響やアジア的なものを志向した舞台だったなあ。
つづいて、「狼森と笊森、盗森」
ふたりの農夫の動きは狂言の太郎冠者みたいだった。ここで出てきた山男の面や、盗森の緑の衣装や動きも印象に残っている。
役者の動きがアドリブじゃなくて、なんらかの定型の型を下敷きにしているから、賢治の童話がどこかギリシア古典劇のような普遍性を帯びてみえるんですよね。
最後の「よだかの星」
は、舞台左手で椅子にかけて「よだかの星」を朗読する女優がいて、
奥の中央で孤独で傷つき、疲れきってついには星になって青く燃え続けるよだかをバレエのように踊り、表現する女優がいる、
ちょっと変則的なスタイルでしたが、
朗読といっても劇なので、よだかと、よだかに改名しろと責める鷹は声が違っていて、
こういう演じ方もあるんだ、と、なにかのヒントをもらったような。
息子にどれがいちばんよかった?と感想をきいたら、全部よかった、そうです。
音響と光と影で幻想的でありたくましくもある賢治の世界がつたわってきました。
黒猫舎の「イーハトーヴからやってきた三つのお話」はあしたの14:00~の回もありますよー。
気になった方はぜひ☆