『母の遺産』を読んでいろいろ思い浮かぶ小説やマンガがあるんですが、
よしながふみの「愛すべき娘たち」もそのひとつです。
オムニバスの作品を通して出てくる、
祖母、母、娘の三代のそれぞれの娘へのかかわり方、
ことに容姿についての言葉ですね。
私は親に器量のことでどうのこうの言われたことがないので、
そんなことを言う親なんて稀なんだろうなあ、と、ずっと思っていました。
が、
実際に息子を持ってみれば、息子なのに、可愛い可愛いと口にして褒めたり、お父さんに似て地黒だねー、とつくづく言ってみたり、
我が子の外見について口にしない日はないのだった。
これは息子だからわりあい可愛い可愛いになっているが、娘だったらどうか。
作品の中に母親は娘の容姿についてサディスティックな感情がある、
とあるのですが、
もし女の子がいたらどうだったのか。
『母の遺産』の主人公の美津紀は姉・奈津紀とふたり姉妹。日本語なのに横書きで書かれた『私小説』でも、姉は奈苗で妹は美苗だったので、
『私小説』と、『本格小説』の一部でも語られた姉妹がまた登場したんだな、と思う。思っていいはずだ(笑)。
姉は美人だが妹はイマイチで、美貌自慢の母親が姉を贔屓して着飾らせ、妹の容姿をくさす、
というのはよくある話だが、姉の奈津紀だってじつは美貌の母親からみたらイマイチなんだけどね、という言葉に傷ついて育っている。
生まれた時あまりにみっともない顔だったので、「美」の字を使うことがためらわれたほどだ、
と繰り返す母親。ひどい。
しかし、
作者の投影と思われる美津紀だって、母親の手から離れて、25歳でパリに留学すれば、引く手数多であり、
「どうじゃ!」
(↑ほんとうにこう書いてあった。水村さん、笑わせてくれるなあ)
と母親に対して思うわけだ。
姉妹間の扱いに差をつけるのも、容貌をあげつらうのも、
自分の容貌に自信満々の母親にはありがちなことなのでしょうか。森茉莉と妹の杏奴のエピソードも思い出されます。
物凄い美貌の鴎外の妻・しげは、姉の茉莉の顔も気に入らなかったけれど化粧映えがする、
と言ってお出かけには入浴をさせていい服をきせてリボンも蝶々がとまるように結んでやり、
妹の杏奴には、
どうやってもムダ。
と放置。ひどい。
これを読んだ時は高校生だったので、
あり得ないんですけど!
と思いましたが、
娘の顔をけなす母親も、容貌を褒めちぎる母親も、根っこはおなじ。
後先になりましたが、「愛すべき娘たち」の、口は悪いけど人はそんなに悪くない祖母(孫からはそう見える)は、
女学校時代、美貌で傲慢な同級生に反発した気持ちから、
自分の娘が日本人離れした容姿であることを、
絶対褒めなかった。
むしろ、出っ歯とか、ニキビだらけの肌とか、胸がひらべったいとか、
本人が美貌をひけらかすいやな女にならないように、
いつも笑いながら、他人にまで言い続けた。
そんな祖母に傷つけられた母親は、
娘の容貌をいつも褒め、お前はお母さんに似ないで出っ歯じゃなくて良かった、と言うわけだ。
女系のこの連鎖って、まさか、どこの家庭もそうだとは思わないが、
けっこうあるのでしょうか。
『母の遺産』の中で、美津紀は子どもがいないのですが、姉の奈津紀は男女の子どもを産み、
母親を反面教師にして、娘には「淳」というボーイッシュな名前をつけ、
容姿については一言も触れないで育てたのですが、
お母さんは一度も褒めてくれないから容姿に劣等コンプレックスを持ってしまった、
と後々責められる奈津紀なのだった。
淳ちゃんは自分に娘ができたら褒めて育てようとか思っていそうな気がします。
奈津紀と美津紀の姉妹はそんな子ども時代であっても、
それほど悪い間柄ではなく、
共に50代ともなれば、しかも長年やりたいホーダイの母親に振り回されていれば、
互いを思いやり合うところがあって、
いままでの作品にはない、
「どうじゃ!」もそうですが、
現実の中で肉付けされたたくましい笑いのようなものを感じました。
iPhoneからの投稿