もう、背が割れてます(笑)。
1964年発行の新書ですが、高校の古本市で買ったんです。私も大量に放出したけど、買う側にもまわったわけで意味不明。でもその時に買った古本はなかなかいいですよ。
今数えたら、33年手元にあるってか。学生時代も就職してからも、
いつもそばにあった本ですが、
なにごともリストやノルマがすきだった若い頃は、
必読書リスト選ばっかり読んで、チェックを怠らなかったようだ(笑)。
蔵書印とか蔵書票の章もあります。
いまはデータベースやデジタル化が進んでいますが、
当時はマイクロ・カードによる保存であり、図書(目録)カードだったんだなあ。
しかし、
読書論についての、
世界をひとりで救うことはできないが、救うかわりに耐えることはできる。
自らの救出ーたとえこれがどんなに絶望的な試みであろうとも、
試みだけはせねばならない。これが「耐える」ということなのだ。
という文章はいまでも古びていない。
世界は相変わらず、
「神経症の天国、不安と懸念の謬、ここから自らを救出しようとせぬ限り、
われわれは永久に束縛されりであろう」(ミラー)
健全な人格育成のための読書論はいまなお、主流ではあるけれど、
紀田順一郎氏の、
自らの救出の試みのまた試みだと自覚しているならば、
われわれはそれを「試みとして」肯定してもよいであろう、
という静謐と諦念のにじむ言葉はいまこそ、読まれるべきではないだろうか。
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