『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』(文藝春秋)で、
赤塚不二夫のひとり娘、りえ子さんの存在を知った。
いや、娘さんがいるというくらいはどこかで聞いていたかも…。
でもこんなにきれいはひとがあの赤塚不二夫の娘?と驚いた。いろいろ失礼ですが。
ところで表紙カバーの赤塚不二夫のまわりに跳んでいるピンク色のものは、
「ベシ」。
『ゲゲゲの娘~』のなかで、赤塚キャラクターのなかで「ベシ」にいちばん似ていると
言われている、と本人が言っていたなあ。
ベシはカエルだから緑色だと思うが、このピンクはにゃロメ・ピンクだな。
りえ子さんは1965年3月生まれ。
マンガ家として独立をしたころの赤塚不二夫のアシスタントをしていたのが
お母さんの茂登子さんだったという。
茂登子さんはいま写真で見ても、センスが良くオシャレでかっこいい美人だが、
それでいてギャグのセンスもすばらしかったらしい。
ふたりはりえ子さんが8歳のときに離婚してしまうが、
お母さんはりえ子さんに音楽と遊ぶこと、感性をみがくこと、
いまを楽しむことを言葉でも体験でも教えたという。
離婚のあと数年して、りえ子さんは赤塚不二夫と
再会をはたし、
一方でお母さんは再婚して、その新しい若いお父さんとお母さん、
赤塚不二夫、やがて後年の赤塚不二夫をサポートすることになる真智子さんという
4人の大人たちがりえ子さんに
たくさんの愛情を注いだ。
24歳で結婚したりえ子さんは、イギリスの大学で美術を学びたいと思い、
一念発起して英語を猛勉強し、ついにイギリスへ渡り、夢をかなえる。
現代美術家として活動していた矢先、母と姉の中間的存在でもあった、
真智子さんが倒れる。真智子さんから赤塚不二夫の仕事一切を引き継ぐことになり、
さらに赤塚不二夫の闘病と、お母さんの突然の発病(いや病気は前からあったのだろうが、気づいてから死に至るまではあまりにも急激なのだ)。
ひとりでも多くの人に赤塚不二夫を知ってもらって、ひとりでの多くのひとに見てもらう。
その思いでりえ子さんはフジオ・プロの社長業をやっていくのだ。
それにしても、お母さんも再婚相手のキータンも、真智子さんも、りえ子さんのイギリス人の夫も、
もちろん、本人のりえ子さんも、
みんなカッコよくてきれいでびっくりする。これはどういうことなんでしょう(笑)。