中原淳一の「女学生服装帖」 | 菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

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中原淳一の本は復刊されたものや新たに編纂されたものを

わりによく読んでいます。



お料理の本もあって、すべてに共通しているのは

いまみても全然感覚が古びていないことですよ。






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中原淳一という名前は田辺聖子さんの


「欲しがりません勝つまでは」ではじめて知ったんですが、


ポプラ社から出ていた人生論シリーズのたしか2巻目が田辺さんの

戦時中から終戦までを描いたもので、



女学校のさらに上の女専に上がってからは戦争も終わりが近づき、

工場動員などもあってきな臭さと重苦しい空気が漂ってくるのですが、


女学校時代の暮しには中原淳一の絵や「少女の友」の影響が大きく、

ついにはクラスメートを誘って「少女草」という雑誌をつくってしまうほどです。



その表紙もやはり中原淳一の絵の影響をうけていますし、「少女」という言葉への

思い入れも中原淳一からの影響…ああ、語彙が少ないってかなしい。影響以外の

言葉が思いつかんのか私は。



その「少女の友」は昭和15年、戦時中にふさわしくないと軍部の圧力を受け、

中原淳一が表紙の絵を降板します。



上の絵は、6月号の中原淳一最後の表紙絵です。




「愛読者がかたる「女学生服装帖」」の章には、

瀬戸内晴美さんへのインタビューもありましたが、



「少女の友」の愛読者から服飾デザイナーになった、


手塚初代、


さんの思い出に思わず名前が同じというだけで

そそられた私でした。






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女学生時代、中原淳一のイラストをもとにお母さんが

いろいろ洋服を作ってくれたそうです。



瀬戸内晴美さんも懐かしくおっしゃっていましたが、



デザインがいまでも通用するほどセンスがよく、


実際に着られる服なんですね。




こうして中原淳一の本がつぎつぎと復刊されたり、編集されたりするということは

やはり求める人が多いということでしょう。


かならずしも懐古趣味ということではないと思われます。なんたって、昭和38年生まれの私だって、

「ひまわり」には全然間に合わなかったし、中原淳一、という名前を知ってから実際にその絵をみることになるのはテレビドラマで吉屋信子原作の、



「あの道この道」


が、



「乳姉妹」としてドラマ化されてからでした。



伊藤かずえの大丸千鶴子の意地悪お嬢様っぷりは最高だったなあ。

乳姉妹の忍へのいじめで、なぜかある朝トマトを籠に携えてでてきて、


それを校舎の柵(?)にぷすぷすぷすと突き刺して歩くんですよ。


で、同級生の誰かが、


「千鶴子さんはきらいな人がいると、自分が大嫌いなトマトをああやって突き刺すのよ」


と、忍へのいじめのプロローグを暗示する…のですが、



伊藤かずえって偉いなあ。私だったらトマトを突き刺す?ありえないんですけどっ!と思ってしまって

とてもその先へすすめそうもない場面だよ。あのころはドラマをみて、ありえねーっ!と叫んでいただけですが、

ありえない場面をマジにやる役者さんって凄い。



「小公女セイラ」(志田未来主演のドラマ)でもいじめの場面でトマトが出てきましたが、




なぜにトマト。つぶれやすいからか?




というドラマの謎はおいて、



「乳姉妹」の復刻から弾みがついてつぎつぎと吉屋信子の少女小説が復刻されたのはうれしかったなあ。


その表紙がすべて、でもないが、かなり多くが中原淳一の絵だったので、ようやく中原淳一ってこういう絵なんだ、と理解したわけです。



物のない時代のおしゃれについてのアイディアや少女はこうあるべし、を読むのが48歳ですがすきです。




べつにいまさらあの時代をやりなおしたいとは思わないが、




中原淳一の絵から抜け出たような少女がいまいたら新鮮だろうなあとは思う。



ロリータファッションもいいけど、淳一ファッションも流行らないかなー。