ゆとり教育終了どう思う? | 菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

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ゆとり教育終了どう思う? ブログネタ:ゆとり教育終了どう思う? 参加中
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「ゆとり教育」って2002年からだったのですね。


もっと前から徐々に教科書の内容は削減されていたような気がしますが…。



1963年生まれの私の世代はすでに教科書の内容が減らされつつある世代で、
「つめこみ教育」世代ではないのでした。


でも、


そんななんだけど、私は全然勉強についていけなかったよ(笑)。




だからはじめ「ゆとり教育」と聞いたときは期待しましたよ。

私みたいに進度の遅い生徒もゆったりとついていくことのできる、
誰もがその子の進度や能力にあわせて、「ゆとり」をもって勉強できる学校…


いやちがうのね!


「ゆとり教育」っていうと、なんかのーんびり牛が牧草を食んでいるイメージですが、

実際は学校の勉強は頼りにならないから、塾に通わせなければ、とか、
子どもの教育費にお金がかかって大変だとか、家族そろってゆっくりごはんは難しい、とか、


「ゆとり教育」だけの責任ではないのですが、不況と相俟って、



ますます「教育」から遠ざかっていく印象を持っていました。



ほんとうの意味での「ゆとり教育」じゃなかったみたいですね。






「ゆとり教育」は名のみで実際は学校行事や総合学習に追われて授業がうすくなり、
その分を生徒が自宅であるいは塾で勉強しなければならなかったというなら、





それはさまざまな意味で労力の無駄、お金の無駄、時間の無駄であったといえましょう。









まさに「ゆとり教育」世代の親戚の子が、その子はまじめな女の子だったので意外だったのですが、

2年生の時点でカタカナがあやふやでした。



授業の中では繰り返し練習させる時間がないからです。




反復学習は家庭で、というのが「ゆとり教育」の方針だったようです。





つまり、






学校では「ゆとり」をもって、行事や総合学習でのびのびと勉強させ、

本質的ではない反復学習なんか家庭におしつければいいや、ってことでしょうか。






反復練習こそが勉強の基本を作ると思うのですが。



ずっと忘れていましたが、私が中学時代勉強のやり方を知ったのは
2年生のときの英語の先生のおかげです。



その先生はとにかく書いて書いて書きまくって覚えろ!という、
桜木先生と川合先生を合体したような、ちょっと変わった、しかし非常に優秀な先生でした。


クラスのほとんどがその先生の言うとおりにレポート用紙の表と裏にびっしりボールペンで英文を書き写しました。1冊終わったら先生のところに持って行ってチェックしてもらう。5冊やったら平常点にプラス5点、だったかなー。


しかし平常点アップよりもこの書いて書いて書きまくれ作戦は効きました。

英語の成績が格段にアップしたんでした。英語があがったら苦手な理科社会も少しはやってもっと成績を上げよう、という欲がでて中2の2学期はほんとうにびっくりするくらい、勉強をしていました。


この書いて書いて書きまくることで、脳みそにシワがいっぱいできてたんじゃないでしょうか(笑)。


小学校時代、勉強のやり方がわからなかったときはきっと、つるんつるんだったと思う。

その調子でずっと勉強していればよかったんですが、思うようにはいかないものだ(笑)。



でも勉強のやり方を知ったおかげで、小学校時代の担任が驚愕するほどの高校(←普通高校ってだけですが、小学校時代があまりにもあまりにだったので…きっと高校も入れないと思われていたんだろうなー)に入れたので、

ほんとうに勉強はやり方を知っているかいないかだと思う。




べつにマンガの受け売りじゃなくて、前から思っていたことですが、


教育はつめこみでいいと思う。



小学校時代は勉強についていけなくて漢字テストがトラウマになっている私ですが、

それでも中学・高校で古文・漢文の時間に文章を丸暗記させられたのはよかったと思っています。


もっとほかのこともぎゅうぎゅうつめこみにつめこんでもらいたかったくらいです。




内田百閒も随筆のなかで何度か繰り返し言っています。


もっとぎゅうぎゅうやれ。やれつめこめ。


いやほんとうです。


映画「まあだかい」にはそんな百閒先生の姿は全然描かれていませんが、

本質的に学生の本分は勉強だ、お前たちもっと勉強しろぎゅうぎゅう、と言いたい頑固おやじだったようです。



ぎゅうぎゅうつめこめつめこめ、と言っている百閒の描いたものは「阿房列車」であったり、
幻想的な短篇であったりします。




ぎゅうぎゅうに勉強してはじめて真に創造的な発見や発明もできるのではないでしょうか。



そこまでいかなくても、


学校がいやだ、と思っている子どもをほんとうに救うのは学校行事なんかじゃない。


勉強がわかること。




これからはたかだか10年で方針をかえることなく、


100年、200年のスケールで日本国民全体の教育を考えてほしいと思います。


3歳から100歳まで、誰もが学ぶって楽しい!と思えるような

学ぶことが生きることだと思えるような、ほんとうに文化的な国になるような
教育政策を考えてほしい。



と、まじめに考えてみました。





教科書を変えるだけでは根本的な見直しとは言えません。



ほんとうに今度こそは10年くらいでほいほい方針を変えないでよー!!



というのが率直な感想かなっ!



みなさんはどう思いますか?