あー。
コーヒーを淹れるときって、集中しますね。
挽いた粉のところに指先でちょん、と小さな凹みをつくって、
そこに一滴一滴しずくを垂らすみたいにお湯をそそぐと、
あ、きょうはぶわっと膨らみそうとか思う。
挽きたての豆じゃないとあのぶわっとふくらむ粉を見られない。
ので、毎回挽いている。電動ミルでだけどね(笑)。
獅子文六全集の「可否道」を読むのはすんごい久しぶりです。
たぶん、全集で何十年か前に読んで、十数年くらい前になにかの
文庫に入っているのを読んで、それきり(笑)。
国際輸入自由化とかインスタントコーヒーの販路とか、当時はたぶん、
全然興味がなくて読み飛ばしていたんだろうなーというところを熟読しました(笑)。
月報によると、獅子文六はもともとコーヒーがすきだったという以上に取材も精力的に行ったようで、
利きコーヒー、当時は耳慣れなかったに違いない水出しコーヒー、静岡のインスタント・コーヒー工場見学までこなし、
オス・カフェ(主人公の女優・モエ子が大当たりしたCMのインスタントコーヒー会社)にリアリティを与えています。なんかしかし、オス・カフェ、いいのかなぁ(笑)。
でもまあ、おかげで輸入自由化が頭にちょっとは残ったです。へへへ。
WTOもFTAも、野菜ソムリエの試験範囲でしかも一回目は一次で落ちたよー、
みんなも一次なめたらあかんぜよ、とすごく気さくな講師の先生が教えてくれた
ヤマ。
なんです。
ほんとうにいい先生だったなあ。
おかげでいま、
でもあの先生も1次落ちたくらいだし、と、心のよすがにしている自分がいる(笑)。
同時に当時はただ単に全集クリアが快感、というだけで読み飛ばしていたに違いないと思われる
「箱根山」も、去年のクリスマスに箱根に行ったので、実在の地名として読んでしまう。
で、
あー、箱根と言えばポーラ美術館。レオナール・フジタ展やってるんだよなー、あそこは会期が長いからまだいけるはずだけど、行けるのかなあ、
とかぼんやり思っていたら、
月報に獅子文六と組んで新聞小説の挿絵をかいていた宮田重雄さんの文章が載っていた。
獅子文六とのなれ初めというのが、レオナール・フジタに公開状をたたきつけたことにあった、というのが目をひいた。
それはレオナール・フジタが進駐軍のために展覧会をするという記事がきっかけで、なんだとけしからん、戦時中に戦争画を描いたのは日本人として当然だが、負けたとなると手のひらをかえしたように進駐軍に媚びるとは!ときりたったわけだ。
でもこの記事は誤報で、当のレオナール・フジタからも懇切な手紙をもらい、肝心の騒動をおこした記者はべつの事故で亡くなり、ありゃー、みたいな展開だったようだ。
もちろん、たまたまの偶然なのだが、
レオナール・フジタ展へ行けという神の声かしら、と思ってしまう私だった。
「可否道」昭和37年11月22日~38年5月23日 読売新聞

