遅ればせながら、
地図をすこしは頭に入れないと、
恥ずかしいことだ。
という機運が盛り上がり、
書店で地図を買ってきました。
息子が0~1歳の頃は、いろいろ吸収させたい、とか思って、
公文式のカードとかね、地図とか、いろいろやりました。
全部コケましたけど(笑)。
でもほんとうは息子じゃなかったんですね。
私は自分に勉強させたかっただけじゃないのかなあ。
といわけで、「あたまにつまった石ころが」のマサチューセッツ州がどこにあるかわからなかったことから、
アメリカ合衆国をものすごいこと勘違いしていたことが判明し、
さすがの私もこれはちょっと、
恥ずかしい。
と思って地図を買ったわけだ。トイレにはろうか、リビングにはろうか迷ったんだけど、
うちは息子も私もほとんどリビングにいるし、
トイレでは頭を空っぽにしたい。
いまのうちに移ってから、トイレに雑誌やマンガや本を置きっぱなしにしてないです。
真っ白なトイレで頭を空っぽにするのが気持ちいいです。
西原理恵子さんの「女の子ものがたり」に、
私は知ろうとしなかった
それははずかしいことだ
というようなセリフがあるんですが、私はそれは、
見たくないものを見ようとしない自分の弱さ甘さ、
という意味ととらえていましたが、
(主人公のお父さんが会社経営に失敗して、負けを取り返すために家じゅうのお金を
ギャンブルに突っ込んで失敗し、死を選んだときに出てくる言葉でした)
…世界地図をまるっきり覚えようともしないって、50歳ちかい大人として
けっこう恥ずかしいことじゃないか?
とやっとその気になったので。
きょうは読み聞かせで、スロヴァキア生まれの作家の作品を読んだひとがいて、
チェコ、スロヴァキア、スラブ叙事詩、ミュシャ、という連想ゲームはできても、
そのスロヴァキアがどこらへんかがイメージできない自分がけっこう
恥ずかしかった。だれも気づかなかったみたいだけど。
赤木かん子さんの講座で、世界地図を学校図書館のテーブルにブッカーではりつけることを聞いてから、
なんか地図地図地図、と思っていて、
きのうとうとう地図を買ったことを自分としてはえらいこと進歩じゃん?と思っている。
せめて白地図で10か国くらいは正確に国名をかけるレベルになりたい。
マジ(笑)。