幸せの基準値 | 菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

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菅原・47歳・女性・母子家庭・8歳のランドセル忘れ常習犯の

息子と二人暮らし。の場合



基準値はこうだ。



朝日、夕陽、雲、空の色、月の満ち欠けをながめられること。


早く起きて、ひとりですごすこと。


たまにカフェに寄る程度の余裕。


月に1、2度映画を観る余裕。


図書館にいく。本を借りる。借りてきた本に没頭できること。


パジャマが好みだ。


枕がワニのぬいぐるみで、シャネルのCHANCEをシュシュッと

スプレーするのがしあわせだ。


石鹸が上等で気持ちいいこと。ライフリーの北冬虫夏草石鹸。


化粧水は宮内庁御用達の花梨の化粧水。もう2年この組合せ。


まあ、そんなんで充分しあわせっすねー。






そうだ。


私、若い頃はいつも焦っていて不幸だった。いま思い出したんですが、

当時は家じゅうに鏡がついていたわけ。家といっても一人暮らしのアパートですが、


13個くらいあったと思う。なんでそんなに鏡がすきだったんだろう。


でも鏡をみるのがすきなひとって、かならずしもきれいな私がすきだわ、ってわけじゃないんだよ。




シュタイナー教育の本だったかと思うんだが、


自然食や天然素材の服(羊毛とか木綿とか)を着ることなどは

なるほどねーっておもったんだが、


鏡をみない、


というのがあったんです。それがひとが自然にしあわせに生きる方法の

ひとつなんだと。


意表を突かれた、と思ったんだけど、鏡をみるのがすきだった頃の

自分をツラツラ鑑みるに、幸福の絶頂って感じじゃなかったなーって。


いつも緊張してもっと自分を高めようとか思って暮らしていた気がする。

言葉にすると凄まじいが、だってほんとうにそんなことを思っていたらしいよ。



そもそも、私の幸福は絶頂という言葉の対極にあるような感じ。



頂きより、平地の安定がすき。


絶頂は幸福というより、「成功」じゃないか?


幸せ、と感じるのには「成功」も「失敗」もなく、

ただ幸せだなーと思えばいいので、


簡単、といえるのは、私がいい年になったからでしょう。


20歳やそこらの頃には、こんな境地に達することになろうとは

思わんかった。



ほんと、長生きはするもんどすなあ。