いやー、発端はある雑誌の片づけ特集(いま切実)で読んだ、
今の時代、一度手放した本だってかならず手に入るんだから、
というような文章だった。
そうかぁ?私は高校時代に手放した1冊の本がいまだに
みつからないで後悔しているぜ?と思って、まあ、念のためにと思って
検索してみたらですね。
↓
なんとありました。
Amazonではコレクター価格ということで破格になっていましたが、
このサイトでは全文を読むことができるうえに、
3つの版のちがいまでわかるというすばらしいものでありました。
おかげで30年ぶりに読み返せました。
デジタル横文字で読むのと、私は新装版が出た時に
表紙のノーブルな少女のイラストに惹かれて買ったのですが、
縦書きの余白の多い書籍で読むのでは雰囲気がちがうのですが、
そういえば当時は若い人の「遺書」がよく話題になっていたなと
思い出しました。
『ぼくは十二歳』『十五歳の遺書』(でも日記を書きはじめたのはたしかに十五歳だけど、
亡くなったのは十七歳なのに、と、十五歳だった私は疑問に思ったものです~)。
ほかにもいろいろあったなあ。
みんな文章や詩が上手で、えー、ほんとに同い年?と(まあそれぞれ生まれた年は
違うんですが、それを読んだ時の私の年齢と同じ、ってことですよ)びっくりしてました。
「十五歳の遺書」はほかの2作と違って、主人公「アリス」(もちろん偽名)は
死を覚悟するみたいなところはなかったので、
もしかしたらドラッグによる事故死だったのかもしれないし、彼女の昔の仲間が故意に
彼女を、ということも考えられるし、
どん底まで堕ちてそこから這い上がってふたたびハイスクールに(あまたの嫌がらせに
耐えながらも)通い、大学では心理学を学んでドラッグにハマった若者を救うひとに
なろうと考えている、アリス。
前向きだー。
と思っていましたが、ある日突然。
って話が横にそれましたが、
ネットってすごいなあというお話でした。
ずっと探していた富岡多恵子の『青春絶望音頭』(べつに遺書じゃありません。
富岡多恵子の青春記です)が1円で(送料はかかりますが)手に入りました。
ネットってすごいなあ。