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あーねー。
あーねー。
いつまでも若く、ほそく、フェアリーみたいな存在でいたい、という人は昔から多いね。
私はそのことを思うと、オスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」を思い出します。
耽美主義の真骨頂みたいな作品ですが、
私は当時17歳だったんだけど、それでも、いつまでもいまの私でいたいわ、とか全然
思ったことがなかったので、主人公の思いつめた気分が全然理解できなかった(笑)。
年を隠すひとの気持ちが全然、まったく分からない。
生きていれば年をとるのは当たりまえ、でしょー。
一方、体重は増えても、その気にさえなれば、減らせるじゃん。
だから増えても苦にならない。
というわけで、
強がってるわけじゃなくて、べつにどっちも増えてもいやじゃないです。
体重も、
年齢も、
その人がどう生きてきたか、または、
どう生きているかの履歴だと思うから、
増えるのが厭だって思うこと自体、ナンセンスじゃん。
…ちょっとまえの朝ドラですが、西城秀樹さんが登場していて、
かっこよかったなあ。若い頃に比べたら、太り肉になったし、皺やたるみだって
あるんだけど、それでもかっこよかった。
きっと生きてきた道筋がかっこいいひとは、体重も年齢も味方につけて、
かっこいいんだと思うなあ。
べつにタレントとか芸能人とか、容姿に気を使っているであろう職業のひとじゃなくっても、
輝いている人は体重も年齢も、そんなのカンケーねぇ、ですよ。
もうだいぶ前になるけど、北海道の大規模農家を営んでいる50代の女性が、
大きな耕運機を駆って、だだっぴろいじゃがいも畑を相手に仕事をしているところをみて、
ものすごくかっこいい!と思った。ま、年はとっても美人なひとだったんですが、
それだけじゃなくて、そのひとの生き方が皺の一本一本にトレースされているんだと
思った。いい皺・わるい皺ってあるんじゃないか。
というわけで、
どちらも増えても厭だとは思わない、私は。
問題なのは、どんな皺をきざむか、腹のたるみ加減にどんな魅力を付加するか。
だと思うなあ!
みなさんはいかがですか?