吉田健一の文章自体が旨みと滋味のあるのに、
それが食べ物に就いて語っているときはもはや
こちらは恍惚だ。
文字でできたお菓子のようなもので…ってそんな
甘口の文章じゃないんだが、
私にとってすきな文体というのは、お菓子をたべている
ようなもので。
やっぱりいちばん繰り返しよんじゃうのは、
英国のたべものに就いての文章ですねー。
英国にはこれだけはたべなければという
ご馳走はない、と言った後に、
だからこそ、英国人は毎日たべるものを旨くしようと
してきた、とつづく。
英国の朝の食事。
「先ず、朝の食事というものがある。意地汚いものにとっては、
これで一日の仕事振りなり何なり、凡てが決定するので、
英国人程、朝の食事の献立に力を入れて来た国民はないだろうと思う。
卵の料理の仕方がどれだけあるだろうか。
その中でも、ポオチド・エッグスが特技を要するもののようで、
これはただ、
塩と酢を少し入れた水を煮立てて、それに卵を落としただけのものでも、
白身はすっかり固って黄身の廻りにちぢれた皮を作り、
黄身は外側だけが袋になって、どろっとした中身の黄身を包み、
持って来られると卵の爽やかな匂いが漂う、という種類のポオチド・エッグスは、
英国にしかない、と誰かも言っていた。これを薄いトオストの切れ端に載せて、
その周りにベエコンがあしらってある。
(もちろん、ポオチド・エッグスといえば、「ジュリー&ジュリア」を
連想してしまうわけです…半茹で卵でもそうとう美味しいと思っていましたが、
ポオチド・エッグスがすごくおいしそうに思えてきました)
そのトオストなのだが、ただパンを薄く焼いただけなのではなく、
パンが柔いのとこりこりの丁度、間位で、バタをつけるとじゅんと
音を立てそうにして溶けるのは、これも何かやり方があるんだろうとも思う。
…やがて、午後のお茶に話はおよび、いわゆる胡瓜のサンドウィッチについては
こう語る。
パセリをそのままサンドイッチに仕立てて、もう少しみずみずしいものにしたら、
先ず英国の胡瓜のサンドイッチに近いものが出来るかもしれない。
噛んでいると、目の裏に緑色の芝生が拡がり、緩慢に流れて行く河の水面に、
白鳥がニ三羽浮かんでいるのが見える趣向になっている。
ああ。
たべたい、パセリの味がする胡瓜のサンドイッチ。
スコオンに、マフィンに、ショオトブレッドに、というのを一々説明して見た所で
仕方がないから――
などと書かないで、もっともっと続けてほしい…と思ってしまうのだった。