蒼い記憶 高橋克彦
図書館で背表紙を眺めつづけること3年、
ずーーっと読んだことがあると思っていましたが、
読んでなかったじゃ(笑)。
直木賞の「緋い記憶」が書店に平積みされていたころ、
私は先月イベントでお世話になったメイプル水沢店の
テナントのメガネ屋ではたらいていましたが、
おなじメガネ店で、駅前店ではたらいている同僚に、
今度来る時、「緋い記憶」買ってきてもらえないかなー、
お金渡すから、と頼まれたことを覚えています。
日頃本には興味がないふうの同僚さえ、読んでみようかなー
と思うのも道理で、書店の平積みが半年以上は続いていたと
思う。話題沸騰でした。
そんでもって私も読んだのだし、そのあと出た、「○○の記憶」を
ずいぶん読んでおります(笑)。高橋さん、記憶本出しすぎです。
でもそのころは同じ県内とはいえ、盛岡は月に一度程度、
映画を見にいくだけだったので、盛岡の町名にもとんと興味がなく、
ただ、自分の記憶の中にある怖さ、だけをおもしろく読んだだけでした。
阿刀田高の切り口にも似ているなーと思いました。
が、
「蒼い記憶」はのっけから、盛岡駅のホームについて、岩手山を眺める場面から
始まっています。「馬場町」「清水町」「県立図書館」…まるで自分の目の前に
くっきり景色があらわれるよう。
県立図書館は、いまのアイーナに移転する前の、古い建物の方なんだなーと思ったのは、
検索に目録カードを使うくだりでした。いまや検索はパソコンが主流…県立図書館は
案外デジタル化が遅かったのを思い出しました。
盛岡に住んでいて医者をやっている弟(設定によって青森にいたりもする)や、幼い頃、
お手伝いさんがいて、慕っていたことや、同人誌をだしていたこと、父親が医師で単身赴任したことがあること、
など、作者自身の「実」をたくみに織り交ぜながら、記憶の「虚」を描いています。
怪談に分類されるものも多いのですが、盛岡への郷愁や妻や母親、弟など家族への思いも
伝わって来ます。
飛行機嫌いで九州で講演をするときでさえ、新幹線で行くと「トランヴェール」にありましたが、
新幹線のなかの描写が、そう詳細ではないのに、情景が浮かぶようでした。
作者・高橋克彦さんは盛岡在住ですが、一度だけすれ違ったことがあります。
県立博物館で2006年の冬でした。ちょうど文士劇の季節で、客演の内館牧子さんが
博物館で講演をやった頃でした。
黒い皮ジャンをきていて、ほかに誰もいない展示室でした。
…でもこの記憶自体が、「蒼い記憶」とおなじ構造になっている気がしてしまうのですが。
あの方は、ほんとうに高橋克彦さんだったんでしょうか?
