魔女菅原と私 第20回 2008年春の女王戦 第三回戦! 幻滅 | 菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

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「三回戦、うなぎ茶漬け45分勝負、よーい!」



「やりくり」ではなく、本番の太鼓が鳴った。


うなぎ茶漬けは、お茶ではなく、昆布だしがはってあって、
淡い。うなぎ茶漬けというので、濃い味を想像していた菅原は、
一口すすって、ほっとした。



(これなら、いける!)。



1杯目は23秒。曽根29秒。1杯目トップは仲山である。


2杯目菅原52秒 曽根49秒。


2杯目のタイムは曽根が20秒、菅原は29秒。


まだ、たがいにどういう食べ方が効率がいいのかを探っている状態だった。


3杯目、菅原1分15秒、曽根、1分13秒。


ここから20杯までは、菅原がややリードしているが、
一杯以上の差はついていない。


カチャカチャというお椀を置く音、積み重ねる音がせわしなく
響き、まるでわんこそば状態である。


菅原はときどき曽根の食べ方を観察し、曽根の視線を感じた


チキンレースだな、こりゃ。


互いの度胸試しのレース。恐怖に負けておりたら、

そいつは決勝のラーメンの前につぶされるんだ…。


司会の有志さんが、


「自爆はやめてくださいよ」


というが、自爆すれすれのところでぶつかり合う、この

痺れるようなスリル。


相手がいるからこそ、走れるのだ。


菅原ははじめは液体ものに恐れを感じていたのに、

いまや、疾走する快感に酔っていた。


一回戦の苺デニッシュも、二回戦のウインナーも、前奏曲にすぎなかった。



大食いの力を試すには、もってこいの食材、お茶漬け。

なんて、楽しいんだろう!


もっと、自分を試したい!



もっと、もっと!





カチャ、カチャ、カチャ。


このあたりで周囲の選手たちとは5杯差ほどだったろうか。



ときおり、隣の宮西さんがついてきているかを確認する。

容量のない(と断定しちゃっている菅原だった)宮西さんには、はじめに、

「ここは私も曽根さんも飛ばすと思うけど、宮西さんは無理しちゃだめだからね。
危ないと思ったら、止まったほうがいいよ」


とアドバイスしていた菅原だった。


これってどうですか。ひねくれた選手だったら、
菅原さんは私を潰そうとしてそんなことを言っているんだわ!絶対止まるもんか!

とか思って自爆しそうであるが、宮西さんは、一面、ひどく素直だった。


曽根・菅原、のあとに、正司、すこし間があって、仲山・宮西という展開だった。


「おっかわりくださああい」

と可愛い声でお代わりをする佐藤さんはきょうもマイペースだった。


ちなみに正司さんは、佐藤さんのお代わりコールを真似することを
厳重注意されて、ふつーにお代わりをしていた。


2回戦のことで書き忘れたことがあった。


正司さんが佐藤さんのお代わりの真似をしているので、菅原もつられて、
正司さんの真似で、

「おかわりくださぃ」とやったら、


プロデューサーから、お前たち、まじめにやれよ、
と注意されたんでした。ふだん、仲良くやるのはいいが、試合にその馴れ合いを持ち込むな、
ということだった。



でも放送をみたら、そこの掛け合いが使われていて、妙にうれしかった。


この三回戦も、シリアスに火花を散らしていたのも確かだが、
同時に絡み合うような場面もあった…ただし、上位の3名の間でだけだ。



「44、22、33」とかね。


菅原44歳、曽根さん22歳、正司さん33歳。
等差数列かってーの(笑)。

やがて。


胃袋の余裕がない、宮西さんと仲山さんが止まりがちになってきた。


やっぱり、思った通り、液体ものが苦手なふたりだった。と、自分自身も
液体が苦手な菅原は思った。


そういう菅原も、25杯あたりから、曽根に引き離され始めた。



曽根が30杯を完食して、

「6kgは余裕!」と笑顔をみせたとき、菅原は28杯だった。

思うようにスピードがだせなくなってきていた。



もちろん、隣の宮西さんのように、みるからに、きつい、という
表情を浮かべていたわけではないと思う。


だが、ここで無理をしてスピードを
あげる必要はないだろう、と、自分にいいきかせていた。



半年前の男女混合戦で、ギャル曽根が人間だったと気づいたことが
大きかった。


思えばあの男女混合戦で、ギャル曽根は一度として女子トップに
なっていない。



ギャル曽根の無敵伝説はすでに崩れ始めていたのだった。

だから。


曽根さんだって、最後までこのスピードでいけるわけはないし、
彼女の容量の限界だってあるはずだ。最後まであきらめなければ、

勝機はあたしにある!


菅原は、2杯差を受け入れた。


思えば、一年前の女王戦の菅原になかったものは、もちろん、
実力なんだが、実力がなかったからこそ、


差が開いていくことを受け入れられず、それが勝負の手綱から、
手を放させてしまったのだった。


弱い選手は、負けることを受け入れられないのだ。

矛盾するようだが。


一方強い選手は、少しくらい不利な態勢であっても、
それを受け入れる余裕があり、最後に笑うことができるのだ。


…勝負は荒馬に乗っているようなものだ。一瞬でもあきらめ、手綱を放してしまったら、
落馬してレースから脱落してしまうのだ。


どんなレースであっても、最後まで手綱を掴んでいること。


それが菅原がこの1年で得た大食い道だった。



曽根は、応援団に声をかけながら、笑顔で17分40秒で35杯、7kgを完食した。


と。



「ちょっと待ちます」


え?

はやっ!


それが菅原の率直な感想だった。


いくらなんでも、7kgで待ちますって、早すぎないか。


菅原はここで曽根に勝った、と思うのではなく、


いささか、



…幻滅した。


なんだよ、なんて腰ぬけなんだよ。もっと行ってくれよ、
もっと、もっとあたしの上を行ってくれよ、


という、憤りにちかいものを感じていたのだった。


そういう作戦で、すぐに立ち上がって食べはじめるつもりかもしれないじゃないか、
とは思えなかった。曽根の隣でたべつづけていた菅原には、



それが「逃げ」であることを見抜いていた。



…もう、きつくなってきたんだね、あんた。




だけど、


あたしはここからが本番なんだよ…。



菅原は30杯からあとは、ずっと1杯1分のペースでたべつづけていた。

32杯17分09秒、33杯18分19秒、34杯18分55秒……44杯30分23秒。


一定のフォームが整ったら、あとはオートマティックだ。

菅原の頭の中で、宇多田ヒカルが踊っていた。



一方、曽根も踊っていた。


立ち上がって、ぴょんぴょん、跳び始めたのだった。

放映されたものでは、すこし跳んだくらいだったが、
けっこう長く跳んでいたのだった。


それは、菅原に対する挑発だったらしい。
あたしは、まだ、元気なのよ、という。

だが、菅原はすでにこのとき、曽根との勝負を降りていた。


勝負は、自分との戦いになっていた。


(10kgをみせてやるよ、ここで)


ただ、問題はさっきから顔色の悪そうな、仲山さんと宮西さんだった。


今までの番組ルールだと、リタイヤの選手が確定した瞬間、試合の時間が
残っていても、勝負をストップさせられてしまうのだ。


(頼むよ、ふたりともリタイヤだけはしないでくれよ!)


と、宮西さんをみると、しばらく止まって様子をみる作戦に転じていた。

(よしよしよし)


と、菅原は胸をなでおろし、あとは、自分のペースで最後まで、つまり、
10kgまで記録を伸ばそうと思っていた。この日、菅原の胃袋は絶好調だったようだ。


だが。


残り時間13分44秒、ブランド仲山、リタイヤ。

この時の気持ちは言いようがない…。


気持ちのやさしい正司さんはもらい泣きしていたが、
べつの意味で菅原も泣きたい気持だった。


たぶん、


いいじゃないの、勝ったんでしょう、あのギャル曽根に、


と、大方の人は言うだろう。



違うんだってば。


勝ちたい相手は、究極自分なんだよ。

10kgいくか、いけないか、これは自分との戦いだったんだよ。


ということで、すべての試合がおわって、帰国してから
仲山さんから電話があったとき、そのことをけっこうしつこく
責めて泣かせてしまった菅原だった。



その後、もう一度会う機会があったが、その時もまた
なにかで責めて涙ぐませた記憶が…。菅原は自分の記録に
水をさされた悔しさを水に流せないのだった。


ついでに暴露してしまえば、男女混合戦の最終代表決定戦も、
仲山さんが30分あたりでリタイヤしたため、


菅原はカレーうどん15杯の記録で終わってしまったんである。


まあ、まわりの人たちは、いや、菅原さんもけっこう限界っぽかった、
というかもしれませんが、45分やってみて15杯だったら納得しますよ。



30分で15杯なのに、番組的にはタイマン勝負でリタイヤって
ありえないから、ということで45分にされちゃっているし。


この時は熱さでもーろーとして、仲山さんもよくやったよ、がんばったね、
という気持ちだったが、あとになってから、きぃーーーーという気持ちに
なったもんだ。


というわけで、この時は記録を妨害された2度目だったんである。


さらに。


悪気なく、ほんの冗談の気持ちだったのかもしれないが、


リタイヤになるかもしれない、というので、選手たちはストップさせられていたのだが、

片山先生が仲山さんの意思を確認して、ドクターストップをかけ、選手の記録を
確認するまでの、短い間に、


曽根さんが、茶碗に半分ほどのこっていたお茶漬けをすすって、
39杯を40杯に、すなわち、7.8kgを8kgにしたのだった。



これは隣の席の菅原だけが目撃していたのだった。


正司さんは泣いていたし、カメラもスタッフも、みんな仲山さんと佐藤さんに
集中していたのだから。


(ず、ずるーい!)


と思ったのと同時に、


(こんなことをするひとは、いつか手痛いしっぺ返しを喰らうんじゃないかな)


と、予兆のように、思った菅原だった。



菅原だってそれをやれば、9kgにはなったのだが、
そして9kgはほんとうに余裕だったのだが、


やらなかった。


そしてそういう自分でいいのだと思った。


ほぼ1kgの差を、曽根さんは

「決勝のラーメンでは私が勝ちます」と言ったが、



言いながら、たぶん、不安でおしつぶされそうだったはずだ。


一方、菅原はもやもやするものををふりはらって、


「あ、そう」

と軽く笑った。


国内戦3試合がおわり、曽根・菅原・正司の2007年組と、

佐藤・宮西の2008年組が勝ち残った。


例の、「チケットは5枚しかないんですねー」のチケットを
手にしたわけだ。


ご帰宅になった仲山さんに手を振りながら、


さみしさがひたひたと押し寄せてきた
菅原だった…。(つづく)