学生時代というより、学園時代でしょうか( ´艸`)。
なんども話題に出してきましたが、私は桐野夏生の
『グロテスク』の、女子高校生の実態をそれこそグロテスクに描いた
くだりがすきでして。
好きというか、引きこまれるわけだ。
はじめ、学生時代の千恵子が出てきたとき、あ、これは
和恵だ、とおもったくらい。
エゴイストでガリ勉によって自分はなにかを掴めると信じている鈍感な
田舎者。って、私じゃなくて、作中の主人公がそんなような言葉で、
内心軽蔑していたんですが…
でも、三村千恵子は、和恵とはちがって、いつのまにか、
クラス中の尊敬を勝ち取っていたんですねー。
むしろ私が思いだしたのは、というか、重ね合わせたのは、
『自閉症だったわたしへ』の、ドナ・ウィリアムズですね。
ドナは高校中退の学歴を、自力でやりなおすことを決め、
経済的にもひどく苦しむし、高機能自閉症という目に見えにくい障害のために、
人にははかりしれない苦労を重ねて、
なんとか高校を卒業し、大学へ進む…。その道のりはけっして
平坦ではなかったのですが、
彼女に、卒業の日に、手紙を渡すクラスメートがいて、
口をきいたこともなかったその女生徒は、
いつも一人でがんばっているあなたを見ていると、勇気がわいた、
というようなメッセージを認めていたのだった。
それを読んだドナは、ずっと一人で孤独な戦いを続けてきたと
思っていたけれど、そんな私を見ていてくれた人がいたのだ、と、
思うのだった…。
(すべて、手元に本がないので、おぼろげな記憶で書いております…)
なにかに一生懸命打ち込んでいるひとの姿は、やっぱり人の心を
引きつけるのではないでしょうか。三村千恵子はあんなに強烈な
キャラクターになりましたが、
今回、カイトがはしなくもセイラに言ったように、
根底には、道義心、とでもいいたいような何かが共通しているのかもしれません、
セイラと千恵子先生のあいだに。
それは、セイラの母・薫子さんと千恵子さんが、
一見対照的な少女でありながら、
根底に流れるものは同じだったということでしょうか。
薫子さんは、好きじゃないんですけどね( ´艸`)。