姉娘のマルタは、妹のマリアが座ってキリストの話をきいているのを
おもしろくなく思い、
「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、
なんともお思いになりませんか。
手伝ってくれるようにおっしゃってください」、と訴えますが、
主は、
「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、
心を乱している。
しかし、必要なことはただ一つだけである。
マリアは良い方を選んだ。それを取り上げては
ならない。」
と答えた、というエピソードです。
で、思い出したのが、
「マルタのやさしい刺繍」。
映画ですが、主人公の80歳の女性の名前をマルタ、と名付けたのは、
この聖書のエピソードに負うところがあるのでしょうか。
マルタを生き生きとよみがえらせたのは、
美しい刺繍でいろどられた下着(!)。
マルタも結婚前は腕のいいお針子だったので、
お店に並んでいる豪奢なレースの下着に発奮します。
聖書のマルタは、妹のマリアを羨みますが、
マルタも夫の死後はどんよりしていました。
自分がほんとうにやりたいことがない人は、
他人の人生を羨み、自分を哀れむことしかできないのです。
もちろん、私自身も姉だったので、下の子ばっかり
かわいがってもう、という気持ちはよーく分かります(笑)。
キリストはかわいいマリアを贔屓しているだけじゃん、
と思わないでもないですが、
キリストのために、食事の支度をしているマルタこそ、
フェルメールの後年の傑作、
「牛乳を注ぐ女」の若き日の姿なのではないでしょうか。
彼女の黄色い服、頭にかぶった白いスカーフ(なのか?)パン、篭、白いテーブルクロス…。
なんでわたしばっかり、と思っていたマルタが、
自分の仕事に充足するようになった姿が、
あの「牛乳を注ぐ女」へとメタモルフォーゼしていった…。
主・キリストはともかく、フェルメールはマルタを
買っている気がします。
捨てる神あれば拾う神あり。ちがうか。
たぶん、全然ちがいます(笑)。
映画のカタログは買わない主義の私ですが、「マルタの刺繍」 だけは
買っておいて、よかったです。
「人生に乾杯!」みたかったなー。