『赤毛のアン』の翻訳で知られる村岡花子の生涯。作者は花子の孫である、村岡恵理。
裕福とは言えない家庭に生まれたが、利発な花子は父親の期待を背負って、10歳から給費生として東洋英和女学校に編入、寄宿舎で10年間暮らす。
8人きょうだいで父親の理想の教育を受けられたのは、花子だけであった、というくだりに胸がつまる。
花子はほとんど家に帰らず、英語の勉強と読書に没頭し、やがて卓抜した英語力で学内でも独自の存在感を示すようになる…
なんとなく、アンに重なりませんか。
やがて翻訳の仕事をはじめ、恋愛、結婚、戦争、アンの出版、と展開していくわけですが、
意外にも生涯、カナダの地を踏むことはなかったそうです。
タイトルとなった「ゆりかご」、つまり、寄宿舎時代の花子にもっとも頁が割かれています。
で、桃子ですが、村岡花子は家庭図書運動を提唱した一人で、児童文学の優れた翻訳で知られる石井桃子とも知己だったのですね。
花子と桃子。
じつは、金井美恵子に『小春日和』という<少女小説>がありまして、花子と桃子が登場…。
花子と桃子って、じつはそっちか?<少女小説>へのお返しとして書いた、とあとがきにあるし。
なんとなく花子は武田花からつけたのかと思ってました。
超個人的な発見でした。