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努力が報われた瞬間、かなあ。
大体、子ども時代からスポットの当たらない人生ですから、
そうじ当番の人たちが帰ってしまった教室を、仕方ないなーと
思いながら一人で掃除したりとか、文化祭の片付けをもくもくやったりとか、
(打ち上げとかには誘われないタイプなわけだ)、そーゆー、
裏方人生。でもそれがけっこう楽しいからいいの私は、と思ってもいた。
怠けたがる人たちと一緒に掃除当番より、一人でさっさか掃除した方が
速いし気持ちいいしね。
さて、そんなうだつのあがらない、じみーな人生を送ってきた私が
神様ありがとう、と思ったのはやっぱり、
公務員試験に受かって、司書になれた時かなあ。
司書って、本の好きな人にとっては天職だと思う。
司書の資格は、短大で取得できたんですが、司書として働くには、
公務員試験に受からないと…。
その前に、司書の資格が取れる短大に合格した時も、
神様ありがとう、と思ったんですが。7倍だったかなあ。
しかし、この地方公務員試験はたしか40倍くらいじゃなかったかな。
もっとか?よく受かったもんだよ。短大卒では私だけだった。
ほかは大卒ばかりで、よけいによく受かったよなあと思ったりして。
なーんかねー。小さな頃から本を読んでいれば幸せで、目立たない、
裏方とか下積みみたいな感じの人生だった自分のことを、
神様はちゃんと見ていてくれたのね!きっと1000回は一人でやった
教室掃除のご褒美なんだーと思った(笑)。
あ。
もちろん、私だって勉強しましたよ。そりゃもうええ。
でも、公務員試験の一般教養って、勉強は苦手だけど本はいっぱい
読んできた私には、言っちゃあなんだが、得意分野だったりして。
人生、分からないもんですね。
努力が必ずしも報われるとは限らないけれど、
報われなくても、努力すること自体が素晴らしいことだと
思えるようになったのは、たぶん、この時の感激があるからだと
思う。
神様はきっといる。
うまくいっても、いかなくても、
神様が見守っているから、私は投げ出さないよ。
みなさんは、神様はいると思いますか?また、神様がいると思った瞬間は?