2007年12月11日火曜日。
菅原は、例のわんこそば収録の放映をぼけーっと見ていた。
5分で93杯。過去最低記録である。くっそー。
しかも司会者のおじさんは、人の苦労も知らないで、
「ぼくはこんなに食べたくないけどね」とかなんとか、
そりゃないだろ的なコメントを、滑舌の悪い発音で口にするのである。
もー頭来るなあ!!
朝からむかついた菅原であったが、その午後、今度は
「大食い王決定戦」の制作会社からスケジュールと地図が
添付メールで送られてきた。
春と秋、年二回行われるテレビ東京の「元祖!大食い王決定戦」
であるが、春は女性限定の「女王戦」なんである。
それに先立って、地方大会が全国4地区で行われ、地方大会の
新人1名がシードとして、春の女王戦本選出場できる権利を
獲得できるのであった。ふう。周知の事実みたいに思っている
のは、一部の限られた人だけだもんね、実は。,
盛岡大会が放映されるや、
「なんで菅原さん大会にでなかったの~」とか、言われて
愕然としたわけですが。なんで盛岡大会にでなかったのって、
あーた。地方大会に参戦できるのは、本選に出場したことのない
新人さんに限られるのよ…菅原は東京予選から出るしかないんです…。
地方大会とはいえ、自分自身も東京予選から出る立場の菅原としては、
すんごいプレッシャーであった。だってそんな自分が東京予選敗退
したらどーする。しかも、今度の東京予選は嵐の未来予想図。
ま、それはまた先の話なのでいまはカットだ。
翌日、パートの仕事が終わったあと、
前からの約束だった岩手朝日放送、土曜日の「楽茶間(ラクティマ)」
の収録があった。わんこそばである。
はじめから、わんこそばの大会あとなので、ということで3分という
ことで話をしてあったから、気楽であった。
収録先は東屋本店であった。
3分で80杯は食べられると豪語する女性アナウンサーに、
それでは実際に食べてもらおう、というドッキリ企画である。
菅原は元力士のタレント小山羊右さんとともに、3分のバトルを
繰り広げる…わけだ。
女性アナウンサーはけっこう頑張ったが、50杯ほどだったろうか。
次は菅原と小山さんの番である。
「はじめ!」。
お腹に何も入っていない状態であるから、軽い!
信じられないほどのスピードがでる。まるで、
大リーグボール養成ギプスを外された星飛雄馬のような…。
先日の朝から晩まで詰め込みの日が、大食い養成ギプスだったんであろうか。
給仕のお姉さんは、動揺のあまりかお椀を崩してしまったりして、
てんやわんやである。
3分106杯。自己新記録である。一年ほど前にNHKの「昼どき日本列島」に
出演したときは、おなじ東屋本店で収録だったのだが、3分で88杯だった。
ちなみに、この時点での5分での最高記録は150杯。情報誌の取材で
2007年4月27日にやったものであった。翌日が、「三宅智子さんと
私」で書いている、「浄土ヶ浜激辛ラーメン早食い大会」(じつは
激辛冷麺なんですが)。
終わった後、お膳の上の、鶏そぼろやお刺身、とろろ、葱やもみじおろし、
なめこおろしなど、多彩なトッピング(刺身はトッピングじゃないですが)
で、残った数十杯をゆっくり食べながら、小山さんや女性アナウンサー、
お給仕のお姉さんと歓談する菅原だった。
食べるのって、しあわせ~ってな感じの収録である。
苦あれば楽ありとはこのことだ。
このあと週末まで、ちょこちょこメールや取材や電話が舞いおどるんであった。
なにかの間違いじゃないでしょうか。
でもまあいいや。私の平平凡凡たる人生に、
こんなことがあってもいいじゃないの。
というわけで、昼間はラーメン店のパートとしてまじめに働き、
夕方から夜にかけては、テレビや新聞や雑誌の取材や打ち合わせ、
というなにがなんだかが週末まで続いたのであった。
さあ、15日がきたぞ。
今日はテレビ東京「元祖!大食い王決定戦」の地方大会のゲストだ。
その収録のあと、今度は16日から18日まで東京で日本テレビの収録だ。
ついでに、15日の夜には、「三宅智子さんの忘年会」だ。
ちょっと華やかじゃないですか。
9月にバリ島から戻って、仕事がないという現実の厳しさに悩んだ時期が
嘘のようだ。仕事がないということは、息子を保育園に通わせることも
できなくなるということである。かつてない大ピンチである。
そういえば、どうしてラーメン店で働いているんですか?
やっぱり、ラーメンでトレーニングするためですか?
と聞かれますが。
ないない(笑)。
仕事探しが難航する菅原に、保育園が救いの手をさしのべてくれて、
当時改築工事中だったこともあって、臨時雇用で4週間だけ働かせて
もらったこともあった。その4週間の間に、仕事をさがさなければ
菅原親子の明日は真っ暗闇。
タイムリミットまで3日のある日。国道沿いのラーメン店にたなびく
「パート・アルバイト募集中」のノボリを発見し、ひらめくものがあって
面接を申込んだのだった。で、即採用である。危ない橋であった。
もし、このラーメン店が採用してくれなければ、もう焼き肉店にも
履歴書を持っていくつもりだった。国道4号線沿いの店で「求人募集」
の張り紙がある会社や店を、全部歩きつぶす覚悟であった。そりゃそうでしょう。
あれから1年5か月ほどがたつが、当時面接を受けた会社や店のうち、
数軒がこの不況下で撤退したり、閉店しているのを見かけるのである。
菅原は結果オーライの運のいい人間、なのかもしれない。(つづく)
ということで、菅原がラーメン店「幸楽苑盛岡上田店」に入った
のは、「働きたかったから」であって、「ラーメンでトレーニング」
ではないのであります。
さて、盛岡大会。どんな新人が現れたのだろうか。
そして、日本テレビの収録は。日本チームVSアメリカチームの
大食い対決とは。三宅智子さんの忘年会とは。
どこまで書けるかわからないが、気になるつづきはまた後ほど~
御感想お待ちしております。