中高年の女性の中にある、もう一度女として
愛されたい、輝きたいという気持ちを、
さまざまな女性の姿を通じて描いた本。
なのですが、一方で『10歳の放浪記』では
語られなかった上條さんの出生や、両親の齟齬など、
彼女の生き方がより多くの比重を占めている気がします。
『10歳の放浪記』について、上條さんは、このことだけは
秘密にしていたかった、と言います。
一年間、家なき子として放浪し、学校にも行けなかった
子どもだったということは、誰にも話したくなかった
ことだったと。
でも、その5年前に書かれた本では、
私は私生児であり、不倫の末に生まれた子だ、
と書いているのです。上條さんにとって辛かったのは、
出自ではなく、「愛されなかったこと」だったのでしょう。
「こんな可哀そうなこと、私は自分の子供にはしない」
という言葉は、裏を返せば、
「私はもっと愛されたかった。大切にされたかった」
という願いなのです。
この本をきっかけとして、秘めていた過去と向き合い、
もう一度あの10歳の苦しい一年を見つめなおそう、
という気持ちになったのではないでしょうか。
『10歳の放浪記』は、あくまでも児童文学作品であり、
「父も妾の子に生まれ、中卒で妻がすでにいて、無教養で
なにももたない男だった」という、辛辣な文章は似合わないのでしょう。
本当は手続きさえすれば、私生児ではなくなる道もあったのですが、
「あんな男の子供であるより、あんたは私生児でよかったじゃない」
と、母親が平然というのです。すごいお母さんだな。このお母さんの愛を求めて、
求めては裏切られる子ども時代を思うと、
「私はこんな可哀そうなことは自分の子どもにしない」
という言葉が切なく響きます。
児童文学のコーナーじゃなくて、社会学の、女性問題あたりのコーナーで
偶然発見しました。
本と私の間に、なにかのイオンが飛び交ったんじゃないですか。
たまに、なんとなく、で、意外な本が見つかったりします。