魔女菅原と私 第1回 | 菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

eeeeee

「女性では世界一なんですよ。その彼女と対決して
もらいたいんです」


菅原は夢かと思った。

2007年11月。


バリ島でのことがすべて幻だったかと思えるような、
地味で灰色の日々が流れていた。

菅原はようやく仕事を見つけ、それなりに落ち着いた日々を
過ごしていた。


岩手では、「大食い王決定戦」の放映はいつもひと月ほど後に
行われるのだった。就職する時は(当然だが)大食いのことは
何も話さなかったのだが、その放映がきっかけとなって、菅原が
「大食い」であることは知られていったようだ。

お客さんにもよく声をかけられるようになった。


春につとめていた店では、一日に1、2回声をかけられる位だったが、
やはり、「7位」と「4位」の違いか、当時隆盛を誇っていた、あの
ギャル曽根に勝った、という点で注目度が違うのか、
一日に数度声をかけられるようになったのだった。


とはいえ、菅原の中では「大食い王」は日々に遠くなっていった。

制作会社から送られてきたDVDを菅原は繰り返し見た。

そこには、菅原の知らない、魔女菅原が跳梁していた。


「これからは私を魔女と呼んでください!」と言い切った女。
これがほんとうに自分なんだろうか。

豚バラ串で、軽々と皿を重ねていく女、これがほんとうに?


「2007春の女王戦」の菅原は、自分とそれほど違わない女に
見えた。

8月に行われた東京予選で、餃子で目がうつろになっているのも、
いかにも自分だと思えた。


(どこから、彼女は私から遠く離れてしまったのだろうか…)


菅原は、魔女となって飛翔する、もう一人の自分を茫然と
見続ける日々を送っていたのだった。


そこへ、日本テレビから年末年始にやる、大食いの番組に
出てほしいという電話があったのだった。


その前に、三宅さんから、こういう内容の番組をやるので、
電話番号を知りたい、と言っているのだが、電話番号を
伝えても大丈夫か、という内容の電話があった。


(なぜ私に声がかかったのだろう?)

やはり、ギャル曽根に勝ったから、ということか。

菅原の中では、「まだ」ギャル曽根に勝ってはいないのに。


菅原は、なんだかおもしろそうだ、という軽い気持ちで、
担当者からの電話を受けた。

(おもしろそうじゃない、この私にテレビ番組に出てくれ、だなんてさ)

どことなく冷めた気分だった。


だが、それが吹っ飛んだ。

「大食いでは世界一と言われている女性との対決を
やってもらいたいんです」

詳細はまた、ということだったが、菅原はその日から、
烈しい「餓え」を感じた。


自分より強い相手と戦いたいという、餓えだった。

(世界一の女性といったら、あいつしかいないじゃん)。

…みなさんは菅原の思い込みの激しさにすでに慣れているだろう。
だから、これから先の菅原の暴走にも、腰を抜かすことはないと
思う。


(ソーニャ・トーマス。あんな凄い人と戦うのか…)。


ええ。分かってます。
菅原が実際に対決したのは、ソーニャではなかったんである。

でもですよ、「大食い世界一の女性」といったら、ソーニャ・トーマスを
思わないですかみなさん。


とはいえ、この日から菅原の穏やかな灰色の日々は、
再び、ギラギラしたものに変わった。

平穏な日々を懐かしみ、手放しくないと思う菅原を、
心の中のナイフを、おまえ、錆びさせていいのかよ、と
煽る魔女菅原。


二人の戦いの日々のはじまりであった…(つづく)



ということで、また物語はつづくのであった。
応援よろしくお願いします。