(帰ってきた…)。
日本の夏は、やっぱり湿っぽかった。
空港に降りた瞬間、もわっとした空気に包まれた気がした。
(昨日まで、バリにいたのになあ)。
空港から懐かしい坂本観光のロケバスに乗り込む。
大食い王の国内ロケはすべて、この坂本観光さんのロケバスで
行われていて、菅原は坂本さんの笑顔を見ると、
それだけで、
(帰ってきたー)
という気になるほどだ。でもそれは、時によっては、
(戦いの始まりだー)
でもあるんですが。
坂本観光のロケバスに乗り込む前に、バリの空港であった
エピソードをいくつか紹介しましょう。
出発の成田空港では実桜ちゃんが、フルーツ缶詰その場でパッカン
してくれて、度肝を抜かれた菅原だったが、
帰りの手荷物検査では、曽根さんがやらかしてくれたのだった。
業務用マヨネーズ。
どーしてもだめ?と食い下がる曽根さんだったが、無理でしょそりゃ。
係員の隙を狙って、差し足忍び足の要領で後ろに回ってみたりもしたが、
それも当然見抜かれて、没収であった。マヨネーズくらいいいじゃないか。
その時の、差し足忍び足の姿を見ていたのは、菅原だけではなかったと思うが、
どこか、「見られていること」を意識したパフォーマンスに思えた。
コミカルなパントマイム。一人芝居の舞台みたい。
実桜ちゃんには、もう少し見られていることを気にしてくれ、と
叫びたかった菅原だったが、曽根さんには、自意識過剰なのではないか、
と、他人事ながら、気になった。でもまあ、それがタレントというものかも
知れないし。芸能界に疎い菅原は、そういうもんかもしんないのう、と
あっさり、考えを打ちきった。
マヨネーズといえば、曽根さんは2007年春の女王戦のきゅうり勝負のあと、
「菅原さん、そのマヨネーズ要らないんですか?」
と断って、菅原がほとんど使わなかったマヨネーズを引き取り、
自分の分と誰かさんの分と、3本くらい抱きしめてロケバスに
戻って行った姿が印象的であった。
それから、バリで飛行機の搭乗時間までの待ち時間に、
選手お世話スタッフの女性から、
「サーティワンのアイスクリーム、ダブルまでオッケーです」
と、言われて狂喜乱舞したこと。
みんな子どものような喜びようであった。
菅原はなにしろ財布0円生活であったから、ここでボンズに
アイスクリームをせがまれたら切ないのう、と、びくついていた
折りであり、軽く50㎝ほどは飛び上がったと思う。
菅原はナッツ入りのアイスが好きなので、ナッツ入りとストロベリーの
組み合わせであったろうか。その組み合わせを赤阪さんに褒められて
うれしかったのを覚えている。
また、この同じ場所であったのだが、
赤阪さんの立体前屈を見ている。
なにかで、
「大食いと体の柔らかさは関係があると思いますよ」
と、赤阪さんが仰って、自ら立体前屈をやってみせたのだった。
菅原も相当柔らかいほうだったが、自分より年上の赤阪さんの
柔軟性に舌を巻いた。
科学的に立証されてはいないが、どういうものか、
大食いの女性は体が柔らかいことが多いようなのだ。
菅原は容量ぎりぎりまで食べると、肋骨がハの字に開くが、
それも柔軟性と関係があるのだろうか。
ま、そのあたりは、片山先生の今後の研究にお任せするとしてだ。
大食い選手、海外組6人がいま、坂本観光のロケバスに乗り込んだ。
成田空港から、新幹線も止まる品川駅までの短い旅である。
バスの中で曽根さは素顔だった気がする。
今回のロケで曽根さんの素顔を見るのは2度目である。
菅原は、はっきりいって素顔の方が清潔感があって、好きだと
思ったが、でも菅原一匹に可愛いと思われてもねえ。
誰に似ているというより、寝起きの白い猫みたいな顔。
色白だし、肌がきれいだしね。寝起きの白猫。
分かっていただけるでしょうか。
1度目の素顔は、決勝の朝のスタッフバスのなかで、
実桜ちゃん、菅原、曽根さんの3人だけという状況だったからか、
素顔からザ・ギャル曽根に変身する技を目の当たりに
したわけであった。
なんども、なんども、
「変な顔でしょう?」
と曽根さんが繰り返したが、変というより、ファニーという
感じだと思った菅原だった。でもまあ、若い子の自意識なんて
そんなもんですよね。
このあと、決勝が始まる前に、曽根さんは帽子を深くかぶって、
「すみません、つけまつげ忘れてきてしまったので、顔映さないで
下さい」
と訴えていた。片方だけ忘れたんだと。
「そんなに違うもんかい?」
と聞くと、
「私、つけまつげなしでロケしたことないんです!」
と怒ったように言っていた。でもまあ、
いざ撮影が始まったら、あっちこっち、氷を運んだりして、
さっき拘っていたことも忘れたかのような曽根さんだった。
また、撮影が終了して、撤収作業が始まると、
曽根さんは、スターバックス(だったと思うが)の
あのカップ入りドリンクを、スタッフ一人一人に
配っていた。たぶん、自分のお小遣いで。
暑い日盛りだったから、冷たい飲み物を差し入れしたい
気持ちだったんだろうと思う。
時に、そういう太っ腹なところを見せる曽根さんだった。
21歳(当時)の女の子としては、かなり気を配る方ではないだろうか。
まあ、それはそれとして。
帰りのロケバスの中で、菅原はある女性に関するうわさを耳にした。
「熱いものも、固いものも、同じものも飽きないで食べ続けられるんですよ」
「とにかく凄い」
誰あろう、宮西亜紗美さんのことだった。2008年春の女王戦で
満を持して登場し、決勝進出を果たした女性である。
その話をしていたのは、当時、宮西さんと同じ職場で働いていた
山本卓弥さんだった。
このとき、菅原の中で、
宮西さん>曽根さん>実桜ちゃん>X>Y>Z>菅原
という不等式ができていた。
菅原は、
未だ誰にも勝っていない、
という気持ちしかなかったんである。この時。
曽根さんにも、実桜ちゃんにも、正司さんにも、池田さんにも、
必ず勝てる、という自信はまだなかった。
いや、
実際菅原は東京予選5位なのである。
山口さんにも、上條さんにも負けている。
勝った記憶より、負けに拘るのが菅原だった。
豚バラ串で、あのギャル曽根に勝ったのよーわーいわーい、
とは到底、思えなかった。納豆ご飯で勝ったのは必然だが、
豚バラ串は順列組み合わせ。海老メンチカツが先に出ていれば
落ちたのは自分だわい、と思っていたんである。
曽根さんは、未だ菅原にとって、大いなる壁だった。
品川の駅で、バラけた。
曽根さんと白田さんは同じ方向なので、もう少しロケバスに
乗って行くことになるそうだ。体に気をつけて、お互いにね、と
言葉を交わして曽根さんと別れ、泉さんとは握手を交わして別れた。
おっと、いけない。
「すみませーん、お願いがあるんですけど」
菅原はここでようやく、
「お金貸して下さい」と切り出すことが出来た。幸い、帰りの新幹線
チケットは予め貰っていたので、一万円だけ借りた。
これで一安心である。
菅原は実桜ちゃんとともに、ある場所へ向かった。
品川駅近くのホテル。
そこには和食のバイキングがあった。
三宅さんと待ち合わせをしていたのだった。
少し遅れて現れた三宅さんは、
6月に逢った時より、頬がほっそりしていた。
「なんかきれいになった…頬がほっそりしましたね」
「ほんとですかあ?」
「フェイスマッサージですか?ほら、こないだDVD出した
人がいるじゃないですか、ええと…」
「あー、私もあのDVD 欲しいんですよ」
大会の様子は、実桜ちゃんからメールで知らされていたようで、
「菅原さん、おめでとうございます」
「いや、豚バラ串だったから勝てただけで…でも、
どうしてそんなに噛めないんだろうね」
「顎が弱いんですよー、私もそうですけど」
顎が弱いことを克服するために、最近スルメを
噛んでいるのだ、と、笑って告白する三宅さんだった。
「それだ!それで頬がほっそりしたんですよー」
それにしても、顎って鍛えるもんなんだろうか、と、
己の四角い顎をなでる菅原だった。
そんな話をしながらも、菅原が次々平らげているのは、
鮨である。バイキングの鮨だから、ネタが選び放題、という
わけではないが、久しぶりのまっ白いご飯にハイになっていた。
白いご飯でハイになれる幸せな奴。
菅原はバリの炒飯、ナシゴレンより、真っ白いご飯が恋しかった。
朝食バイキングのさまざまなスムジーやヨーグルトは腸に沁み入る
新鮮さだったが、菅原の「まっ白いご飯食べたい病」は
募る一方だった。正直、菅原は自分が40代であることを
試合以外の食事のたびに思い知らされていたんである。
どーしてみなさんナシゴレンやミーゴレン(焼きそば)を
そんなに召しあがれるの?
だが、ここは日本。
鮨、鮨、鮨だあ。
べつに選手権でもないのに、菅原は鮨のはいった桶を積み上げて
いった。鮨以外にもいろいろ料理はあったと思うんだが、鮨しか
目に入らない。
「納豆ごはんの時はね、いけると思ったんですよ。
私、ご飯は16合まで食べられるようになっていたから、
これは初手から飛ばしても最後まで行けるって」
三宅さんと実桜ちゃんが、顔を見合せて、
「16合はすごいよねー、できないよ」
と言っている。
その時、三宅さんの電話が鳴った。
三宅さんがなにか楽しげに話しているかと思ったら、
「正司さんですよ」
と、菅原にケータイを渡した。
「菅原さん?どうだった?」
電話の向こうのあの子どもみたいな笑顔が浮かびそうな声である。
「それがねえ、バリについたそうそう財布落として!」
「ちょっとおー、なにそれ」
「でもそのおかげか、4回戦3位だったのよお」
「凄いじゃないですかあ」
「凄いでしょ、準決勝に進んだわけだ。でもまあ、
また揚げものが出てさ!ひどいじゃん、鮨でも出せよって話だ」
「鮨は女王戦で出したから出ないでしょう」
「まあね。で、負けたのよあっさり」
「でも、じゃあ、ギャル曽根に勝ったってこと?」
「うん。一応」
「やったじゃないー、すごいじゃない」
正司さんが、電話の向こうで大喜びしている。
春の女王戦で、
「これが菅原さんの実力だとは思わない」
と言ってくれた正司さん。
やっと、その言葉に報いることができたという思いだった。
正司さんと三宅さん、春の女王戦で出会って、二人とも
菅原はもっと力があるはずだ、と、信じてくれた人物である。
菅原が自分自身を信じられなかった季節に、二人は、やれる、
と背中を押してくれたのであった。
三宅さんと実桜ちゃんに、荷物を手伝ってもらいながら、
菅原は東北新幹線に乗り込んだ。息子はバイキングで
途中から眠ってしまったため、背中におぶっているのである。
新幹線の指定席を慎重に確かめて息子を下ろすと、
菅原はやっと旅が終わったと思った。
息子は正体もなく眠りこけている。
菅原は、窓の外の景色をぼんやり眺めながら、
春の女王戦の帰途を思い出した。
(あの時は、太巻き寿司と苺のショートケーキを
食べながら帰ったなあ)
菅原は泊めてもらった浅草のホテルから、
仲見世を眺めて歩いた。
春らしい太巻き寿司が売っていて、せっかくだからと
4パックほども買っただろうか。
近くに公園があって、息子がそこで遊んでいる姿を
しばらく眺めていたりした。
それほど、負けたことにショックを受けてはいなかったが、
自分だけが旅の途中で帰えることが、寂しかった。
そう、あのときの気持ちは寂しいというものだった。
今回の旅は…。
いろいろな場面が蘇った。
突風でひっくり返ったビニール傘。
正司さんが帰り、自分が残った鶏唐揚げ。
石像の耳に挿されていた、真っ白なジャスミンの花。
葉の大きな南国の木を、上り下りする尻尾の長いサル。
朝食バイキングのスムジー。炎天下の決勝。
石段の上で眠る息子。
ホテルの壁に投げつけた羽根枕。
洗濯物を干しに出た広いベランダ。
あー。東京予選に出て良かった。
敗者復活戦に勝てて良かった。
なんてなんて、自分は幸運に恵まれていたんだろう。
明日からはまた、日常がはじまる。
だが、この思い出があるかぎり、
私はやっていけるはずだ。
きっと。(完)
「三宅智子さんと私」はこれにて完結です。
いろいろ未熟な文章を読んでいただき、ありがとうございました。
近日中に、また、その後の菅原が2008年春の女王戦に挑む
姿を描きたいと思います。よろしくお願いします。