小学校1,2年の担任だった女性の先生は、お母さんみたいな
優しさがにじみ出ている感じで、包まれたい、という「好き」だった。
でも、中学の国語の先生だったS先生は、峻厳というか、厳格というか、
とにかく、「厳」のつく熟語がすべて当て嵌まるような先生だったんです。
どこが好きだったか。
それは彼の国語の授業の深さですよ。
どこまでもどこまでも、深く文章に向き合うハイレベルな国語の授業。
小学校時代、あれほど本が好きでありながら、国語の授業が苦手だった菅たんが、
彼の国語に出会って、はじめて国語を好きになったんだ!
これが国語なんだ!
と目から鱗がおちたよう。
その厳しさから、S先生は誰からも人気のあるという先生ではなかったかも
しれない。私の友達は、国語が苦手ということもあり、彼を認めていなかった。
嫌っていたと言ってもいい。忘れ物をした生徒には、床に正坐、
答えが誰も分からないと、あからさまな失望の色を浮かべて、激怒。
烈しい性格なのだった。
しかし、S先生の言葉は、いまでも、いくらでも思い出せるのだ。
「山椒魚」のなかの、
「よしあしである」、の一言の解釈が、自分でもまだわからない。
だから、お前たちがこれだ、と思うことがあったら教えてくれ。
この一言が、今も胸に残っている。たぶん、S先生がそう言わなかったら、
「よしあしである」を、軽く読み流していたのに違いない。
その後、「山椒魚」は作者が手を入れ、最後の2行を削除した。
S先生はどう思われただろうか。
じつは実家の近くにS先生のご自宅があるのである。
S先生の次女は、中学校時代の部活の部長だった。
しかも、教育実習でも一緒だった(科目は当然国語だ)。
同じ教育実習仲間の間でも、S先生の国語の凄さは
やはり周知のことだった。残念ながら、実習にいった
頃には、転勤により母校を去られていたのだが、
隣の中学校での彼の授業を見に行くよ、と、、
一人の実習生が出かけたことを思い出す。
誇らしかった。そのS先生に、中2、3の国語を
習ったのだ。
なにか目をかけられたとか、そういう繋がりではなく、
彼の国語が好きだった、それだけである。