三宅智子さんと私 第38回 | 菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

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ところで、第37回で書き落としたことがあったのでした。

負けて、浜辺から戻る途中で、また曽根さんと行きあって、
(なぜか曽根さんとだけ行きあうのだった。実桜ちゃんとは
行きあわなかったのだった。今気づいた)


曽根さんは、このロケの前に痛めたらしい腰を片手でおさえながら
歩いていた。そう、彼女はずっと腰の痛みがあったようだった。
「痛い」と聞いたことはなかったが。それを言ったら負けだ、
という気分があったのかもしれない。それも今気づいた。


なんで今気づくんだろう。でも書くことによって、やっと
理解できたと思う場面がいくつもあるもんですよ。
逆もありますけどね。なにげなく、書いて、あれ?あれって、
どんな意味だったの、とか、いまさら。


さて、曽根さんと行きあったんだった。

実桜ちゃんと曽根さんが応援してくれたのは、
やっぱりうれしかった。それが番組スタッフの指示や演出だった
のかもしれなくても、その瞬間の気持ちは、案外本当だと分かっていた。

立場が逆だったら、たぶん、菅原も本気で、曽根さんなり、実桜ちゃんを
応援しただろう。一瞬だけの友情。それでいいじゃないか。充分だ。


「負けたよー、実はさ、曽根さんになりきって食べたら
行けるかと思ったんだけど、負けちゃったよ」

「なんだよー、ずいぶん弱っちい曽根だな」

「あははは、ほんとにねー」


二人は、それだけでまた、それぞれの場所へ向かった。

それだけだったが、この時、菅原は、順番次第だった、
とつよく思っていた。


海老メンチカツが先に出ていたら、残ったのは、曽根さんだった
かもしれない。いや、実桜ちゃんにだって可能性はある。

そして豚バラ串が準決勝だったら…だが、やはり落ちるのは女性
だったのだろう。


結局、決勝はあの3人になるしかなかったのだ…。

それを悔しいと思うほど、自分には実力がないと自覚する菅原だった。


さて、決勝当日。
まさかの屋外ステージ。
バリ風、というより、ギリシャのパルテノン宮殿風の豪華な白いぶっとい
柱がどーんと設置されている。


だが、あくまで青く澄み渡るバリの空。
なんでだか、30年以上昔に読んだ『ジェイン・エア』の、
「コバルト色の空」なんて言葉が思い浮かぶ。
金属的に輝く青空。わかって頂けるでしょうか。


今日も暑くなりそうだなあ。
いくつものクーラーボックスに、氷がつめられ、
水の入ったペットボトルが冷やされている。

氷だけが入ったクーラーボックスもいくつかある。

この暑さの中で、決勝が行われるのだ。


負けた人たちはスタッフとして働いてもらうからね、と言われても、
菅原はなにしろ子連れなので、スタッフの鉢巻(なのか?)を支給されたものの、

「菅原さんの仕事は慶君を見ていることだよ」
ということになった。ついでに、荷物も時々見ておいて、
くらいのゆるーいスタッフである。


その慶は暑さにめげたのか、昼からの決勝戦には日影で
ぐうぐう眠っていたのだった。


テレビの画面からも熱さは伝わってくると思うんですが、
あの実際はそれどころじゃない感じだった。暑さで視界がぐにゃりと
歪みそうだった。ステージ上は、それどころじゃなかっただろう。
しかも、ラーメンを食べるんである。


我慢大会か~い、と思う菅原だった。


でも男性3人は文句も言わず、席についた。
菅原はこの3人の口から、愚痴や不満、文句を聞いたことがなかった。
云ったとしても、それは相対化されて、笑いに変えられていた。

一言で言うと、


「男だな!」


ということだった。


舞台上では、白衣にサングラスの迫力ある大会ドクター・片山先生が
選手の後ろに立っていた。母親的というより、戦場の聖母である。
思わず、岩崎宏実が聞こえてきそうだ。


選手ともスタッフとも違う、唯一無二の存在であるところは、
司会の中村有志さんに通じるものがあるかもしれない。

舞台の上には、選手と中村有志さん、片山先生。
いま、戦いの合図の太鼓が鳴った。


(えっ?)


撮影の邪魔にならないように、けっこう離れて試合を見ていた
菅原だったが、その異様なハイペースにわが目を疑った。


半分に切った茹で卵とチャーシュー、青ネギののったシンプルな
ラーメンだが、シンプルとはいえ、卵は重くなってくるだろうと
思わせた。



白田さんと山本さんが、たとえば、10分間勝負のわんこそばでもあるかのような
勢いで、ずずずずずっとすすりあげる。山本さんのラーメンが箸の先で暴れている。


泉さんがトレードマークのサングラスを外したのは、
豚バラ串であったろうか。菅原がスパートでメガネを外したら、
「あ、俺が先に外そうと思ってたのにぃ!」と叫んでいた。
サングラスを外すと、ディズニーのバンビを思わせる、
まつ毛の長い、つぶらな瞳が現れて、中村有志さんが大いに
ずっこけていた。


泉さんは、今日は朝からサングラスをかけていない。

片山先生がサングラスを掛けたのと、対照的である。


一杯30秒ペースでラーメンの杯が重ねられる。
山本さんは、昨日の準決勝でも目の色が変わっていたが、
今日はまた格別だった。
眦がつり上がり、眼の色が淡くなっていた。


白田さんは真ん中の席で、海賊みたいにバンダナを巻いていた。

山本さんが始終、白田さんの様子を窺うのとは対照的に、
すこしうつむき加減の姿勢で、周りをみることはなく、
ただラーメンだけを食べ進めている。


二人のトップ争いは、ついに山本さんの2杯リードで決したようだった。

スタッフ降格選手である、曽根さん、実桜ちゃん、そして菅原の三人は、
今朝、会場に向かうスタッフ用バスの中で、こんな話をした。


切り出したのは曽根さんだった。
「ね、誰が勝つと思う?」
「白田さん」
菅原が端的に言うと、実桜ちゃんも、
「白田さんだと思う」
と言った。曽根さんも、
「白田君、最後の試合だし、あたしも白田君に勝ってほしい」
と言った。なんと3人とも、今回で最後になる白田さんの
勝利を確信していたんである。山本さんがずっと一位をひた走っていたのに、
どういうことであろうか。


いや、確信していたというより、今回を最後に大食い王を去るという、
白田さんに勝ってほしい、そういう気持ちだったと思う。

そんなことを思いながら、菅原は遠くの白田さんを見ていた。
山本さんは優位に立ち、少し休憩に入るようだ。


泉さんは、まだあきらめていないようだった。白田さんに近づこうとしている。

菅原は、白田さんが優勝するだろう、と思いながらも、
心の中で一番応援していたのは泉さんだった。


夏の予選で自分から話しかけてくれた泉さん。

納豆ご飯のあと、(すげぇ)と言ってくれた泉さん。

(菅原さん、手ぇ抜いた?)(待たせる方が辛いんだよ)

彼は優しい。人間としてひどく上等な心の持ち主だと思う。


そんな泉さんが、昨日の海老メンチカツから、白田さん山本さんに
喰らいついてはなれるもんか、という気迫を見せている。

(泉さんのいまは、私の次の姿だ)。

(もし、私があの場所にいたら、心折れることなく、
最後まで闘えただろうか?)


あくまでも白田さんについていく、泉さんの姿をみながら、
菅原は誰を応援しているのか、自分でもわからなくなっていった。

白田さんに優勝してほしい。

泉さんには負けないでほしい。

そして、ずっと隣の席で、無茶な菅原を気にかけてくれていた山本さん。
山本さんには、その力を思いっきり出してほしい。

三人を見て、誰か一人を応援するなんて無理だった。


あまりにも苛酷な戦いを戦っている三人だった。


曽根さんはラーメンのぼて振りを手伝いはじめた。
その隣にいるのは、零クリエイトの一番えらいひと、酒井さんである。
お父さんと娘が一緒にラーメンを作っている微笑ましい光景、
に見えなくもないが、ラーメンが間に合わなくなったら、
おおごとだ。


豚バラ串で間に合わなくなるのとは、次元が違う大ごとなんである。

ラーメンで試合中断だけは、あってはならないことだ。


試合残り時間、20分くらいであっただろうか。

山本さんにずっと2杯差で遅れていた白田さんが、動いた。
動いたというより、山本さんがストップしていた間も、ずっと
食べ続けていた白田さんが、追いついたのだった。

山本さんも箸を動かし始める。


また一杯差。

だが、ずっと食べ続けていた白田さんの粘りに山本さんは劣勢に回った。
それは遠くから見ていた菅原にもわかった。山本さんは今、心を折られようと
しているのだと。白田さんが今こそ、という感じでペースを上げ始める。


泉さんは、22杯からずっと箸をとめてうつむいている。
だが、片山先生が濡れタオルを交換してはいるが、勝負から
降りることはしない。


「男だ!泉さんは男だよ!」


菅原は真っ青になりながらも、ラーメンと向き合い続ける泉さんに
エールを送っていた。自分はやはり、あの場所に座る力はなかった。
もし、私があそこにいたら、22杯までいくかどうかはともかく、
たぶん、心折れて、リタイヤしていただろう。

泉さんは男だ!


一方、白田さんはラストスパートをかける寸前、
「幽門開いた!」と叫んだ。

悔しそうな表情を浮かべながら、箸を進めることのできない山本さんを
尻目に、おかわりをする白田さん。


そして。

試合は終わった。

ジャイアント白田、最後の戦いは、ずっとライバル山本が一位を独走してきたが、
最後の最後に勝ったのは、白田だった。


バリの青い空に輝く、黄金のラーメン丼型優勝カップ。ちなみにあれは
発泡スチロールに金メッキという高等技術で作られており、その技術は
門外不出であるそうだ。


青い空に、金の優勝カップを掲げる白田さん。

白田さんの笑顔は、青い空によく映えていた。


菅原は秘かに思っていた。

青い空に似合うような、笑顔っていいな。
よし。


なにがよし、なんだか分からないが、菅原は白田さんのやることを
すべて見ておこう、と思っていたのだった。白田さんもいい迷惑である。


その夜、お疲れ様パーティが開かれ、豪華なバリ料理のバイキングだった。

ホテルのプールのそば、というロマンティックな設定である。
菅原は、あまり食欲もなかったんだが、そのうえ、4歳の息子が
あちこち走りまわるもんだから。ずっと走りまわっていた記憶しかない。


なんどか白田さんが捕まえてくれて、高い高いをしてくれたことは
憶えている。ありとあらゆる意味で、最高の高い高いである。


白田さんは、お酒を嗜む程度で、料理はつまむ程度だった。
それも、菅原は覚えておこう、とか思った。なんのためにだ。

それは今にわかるさ。


曽根さんは屈託なく、あらゆる料理を楽しみつつ、時々、泉さんや白田さんに、
「これ、食べてみ。美味しいよお」
と、自分が気に入った料理を分けていたりした。


実桜ちゃんは

「さあ、これが最後だから思いっきり食べようかな!」
と宣言して、言葉どおり、思いっきり食べていた。


この時、菅原はスタッフの方たちと同じテーブルだったのだが、
とはいえ、始終席を立って、息子を追いかけるので、あまり
会話を交わすこともできなかったんですが。


白田さんが、
「菅原さんは、今これだったら若いころは…?」
と聞いて、
「いやあ、若い頃は、人前で大食いだと言われるのもいやだったし、
スタイルを気にして思いっきり食べることもできなかったし。
でも、もうおばさんだし、いっか!と思って」


これで、テーブルの人々が笑った。温かい笑いだった。
敗者復活からバリまで戦い抜いた菅原に、お疲れ様、という意味合いも
ある、そんなやさしい笑いである。

でもこれが本音なんである。


40代でこれだけ食べるということは、若い頃はさぞや、
という考えもあるでしょうが、菅原は20代の頃は、
太りやすかったし、それでいて、ほっそりしていたかったので、
思いっきり食べたという憶えがあまりない。

しかもほっそりしていたわけでもない(笑)。


出産と出産後の母乳育児で、体質がガラガラガラッと
変わった。革命的に変わった。嘘だと思うなら、やってみてくれ。
38歳で出産して、母乳だけで子どもを育ててみてくれ。

菅原は体脂肪率が33%から17%まで、一気に落ちたぞ。
体重57㎏で17%だぞ。どんだけ筋肉質なんだ。


そこから、あまり太らなくなった。
ふつうの人は若い頃にいくら食べても太らないものですが、
菅原は40代になってからそうなったんだ。晩い春。


おばさんになって、大食いしても恥ずかしいという気持ちもないし。

これでいいのだ~これでいいのだ~♪

という開き直った気持である。


たぶん、人なみにダイエットで苦労したりした20代があるから、
大食いが楽しいのだ。もし、20代からずっと大食いだったら、
菅原はいま、大食いに飽きていただろう。

あ、長くなりすぎましたね。


白田さんはその後、なんどか、お会いしてわかったのであるが、
フェアネスの人である。

だから、菅原に今そのくらいだったら…と言ったのはお世辞や気づかい
ではなく、本当にそう思っていたのだった。
菅原はこの頃、自分の能力がどの程度か分からず、褒められても、
本気にとっていいのか、いつも分からなかった。


ただ、白田さんに

「容量ですよ」

と言われたことだけは、忘れなかった。


また、赤阪さんにも、バリの空港のエスカレーターで、

「菅ちゃんはやれると思うわ。脂っこいもの苦手とかあるかもしれないけど、
あなたはまだ伸びると思う」

と言われたことを思い出す。


伝説的な二人に、声をかけてもらったことが、菅原には輝かしい思い出になった。

財布を失くして、なにも買えなかった菅原だったが、
心の財布はパンパンにはちきれそうなほど、宝物のような言葉が
つまっていた。


バリの神様、ありがとう。


あの時の突風は、やっぱり、神様だったんですね。
私を連れて来てくれて、ありがとう。

ありがとう。(つづく)




というわけで38回目をお届けできました。
まだ続くんですか。まだ続くみたいです。

ご感想おまちしております