おもしろいんですもの。
一気よみとはこのことだ。読んでいるときの私の集中力というのは、
むだにもの凄くて、耳も聴こえなくなるし、頭が肩にめり込む感じだ。
この本で、思わず膝を打ったのは、
「明子と葉子の違い」。
「巨人の星」も「あしたのジョー」も、ともに手がけた山崎さんだからこその
慧眼なんですが、
やがて僕は気づいた。同じ女性なのに、明子と白木葉子の存在感が
こうも違う理由に。明子はいわば「記号」にすぎないのだ。
梶原先生にとっての「聖母」という記号に。
対して葉子は、じつは「男」だった。丈と激しく戦いながらも、心の奥底でつながっている。
それはまさに『巨人の星』における、花形満、星一徹に相当する存在だったのだ。
そうだったのか。私は、アニメの「あしたのジョー2」で、一部分だけ、
目を逸らしたくなるシーンがあって、それは葉子が最後の試合に向かう丈に、
試合に出ないでほしい、と懇願したあと、いつもの冷たい仮面を剥ぎとって、
必死の顔で、ドアの前に立ちはだかり、
「好きなのよ、矢吹君、あなたが」
というシーンなんだが、(丈の対応は、原作の方があっさりしていて好きだ)、
逆に好きなのは、最後に丈が、「これをあんたにもらってもらいたいんだ」
と、葉子にグローブを託すシーンだ。
そうか!男だったんだ!
この他、じつは高畑勲・宮崎駿が『長くつしたのピッピ』のアニメを
作ろうとしていたというのも衝撃的でした。
そういえば、宮崎さんはアニメ「赤毛のアン」も手掛けてはいるんですが、
アンみたいな少女はきらいで、それで途中で降りた、と何かで読んだ。
そりゃあ、ピッピ・ロッタ・ナガクツシタ、と、Eつづりのアン・シャーリー
じゃあ、宮崎アニメにおいては、断然ピッピでしょうね。
リンドグレーンが日本のアニメの暴力的な表現に嫌悪を持ち、
この話は流れたそうです。
この他にも、いい話満載なので、よかったらどぞ。