ノエル――フォア・ハンズ 5 | 菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

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 気がつくとノエルは姿を消していた。
代わりに、暗くなった音楽室の床には、彼女が校内でも特権的に巻きつけていた白いマフラーが落ちていた。


手編みらしい、モヘアの白いマフラーには、名前が血のような真紅で刺繍されてあった。
その刺繍をみたとたん、ノエルが誰だったのかを悟った。


 合唱コンクールの当日、ぎりぎりまで待つ私たちの前に、ノエルは姿を現さなかった。
 騒然とするクラスメートたちに、私は声をあげた。はじめての声を。


 「俺がやる」


 教室が静まり返った。私は指揮棒を放りなげる。
誰か、頼む、格好だけでいいんだ、俺の代わりくらい、誰だってできるさ。
いつもの冗談ととった男子が指揮棒を受け取り、幕があがった。


 指揮者が縋るように私を見る。軽くうなずき、私はクラスメートに合図を送って、
はじめの音を出す。鍵盤は春の雪のように、柔らかかった。流れるように音が溢れる。
歌声のなかに、ノエルがいた。赤茶けた藻のような髪をゆらして、ハミングをするノエル。
いつのまに紛れ込んだのか、誰も知らない間にノエルが歌っている。


ノエルの姿を眼の端で捉えて、私はピアノを弾く。走り抜けた瞬間、
拍手が起こり、指揮者が礼をして、幕がおりた。
クラスメート達の抱擁につつまれて、私はノエルが溶けるように消えていくのを見ていた。
 
 ピアノを習い始めた幼い日に、母の鏡台の抽斗に、手編みの靴下を見つけたことがあった。
小さな白いモヘアの靴下には、N、と濃い紅色で刺繍が施されてあった。


クリスマスに生まれるはずだった双子の片割れ。
聖夜という名が与えられたのは、遺された私だった。


 ノエルの疾走する白い指の記憶に導かれて、私はピアノに戻った。
自分の意志で。



 ――いま、アンコールの幕があがった。


 ノエル、と声をかけて、私は連弾をはじめる。


十四歳になった私の娘が、藻のような髪をゆらし、音の追走劇がはじまった。(終)