うちの祖父は、2年ほどまえ94歳で大往生を遂げましたが、
いやースゴイ人だった。
天上天下唯我独尊。憎まれっ子世にはばかる。
さくらももこさんの「ちびまる子ちゃん」の友蔵じいさんは可愛いけど、
実際の祖父はそんなもんじゃなくて、と、エッセイで読んだとき、
ひどくほっとした。祖父が孫に優しくなかったなんて、恥ずかしいことのように
思っていたんですよねなぜか。
そういう祖父の口癖は、「おまえは2歳まではすごく可愛かった」。
…この一言で、どういう人となりか、想像がつくかと思われます。ひでー爺さんだったんだから!
で、梅林堂ですが。
終戦後、十数年ほど、うちの祖父はパン屋をやっていたんです。
もともと板金屋だったんだけど、終戦後は配給の砂糖がやたらたまったらしい。
現金で支払うかわりに、砂糖で払う家が多かったそうだ。ほんとか。
そこで、工夫発明の好きな祖父は、板金の腕を生かして、
巨大な飴を煮る釜をつくり、飴を売り始めたわけです。
これが、やっぱり甘いものに飢えていた終戦後にヒット。ヒットといっても、
せいぜい御近所でのヒットなんだが。
そこで規模拡大して、パンやお菓子も売り始めたというわけです。
最盛期は、住み込みの従業員やお手伝いさんもいたらしい。
その寮らしきものは、たしかに建て替え前の家にくっついてました。
パン屋をやりながら、「美男子」の大きな羊も飼っていたわけか。
無法地帯だんったんじゃね?っていう気もするなあ。