「納豆かけご飯だあー」。
思えば、この辺から、選手たちの間で、
神様にこだわって食材を考えるのはやめよーぜ、という
空気になってきていたよなあ。
だって。
納豆のどこが神じゃ!
菅原は、
ネクタリン(果物。ギリシア神話の神々が、飲んだという)。
お稲荷さん。
赤飯。
など、真剣に神様にちなんだ食材を考えていたんだが。
まあ、湯島天神は神様だけどさ。
でも。
じつはご飯勝負と聞いて、菅原の心の中にひとつの希望が芽生えていたんである。
いける!
ふつーの人は、自分がご飯をどれだけ、どのくらいのスピードで食べられるか、
なんて、たぶん知らないだろうと思うけれども。
そして、今まで出た食材、バナナ、鶏から揚げについては、
大食い初心者の菅原は、初めて大食いする食材だったのだが。
ご飯なら、あたし、負けない!
菅原はこの当時、ご飯なら5kg食べられる自信をつけていた。
納豆ご飯は、一杯100g。
1杯1分ペースで食べても、おつりがくる計算だ。
まあ、その計算には一杯50gの納豆は入っていないんだが。
でも、相当飛ばしても、これなら。
菅原はこの大会で初めて、一切の不安を持たず席に着いた。
(ご飯なら、どんと来い!)
自信とはまったく怖いものである。
「いっただきまーす」
菅原は内心の自信を、誰にも悟られないようにしなければ、と思っていた。
(みんな、墜ちるのはあたしだと思ってる。ふふ)
それはそうでしょう。
菅原は、1回戦、2回戦とぎりぎりで生き残った選手である。
そんな菅原がここで落ちなくて、誰が落ちる。
スタッフ・選手共通のコモンセンスというもんである。
そんな空気を破る咆哮を、(心の中で)叫んだ菅原だった。
(見てろよ!)
試合が始まってすぐに、菅原は一杯目をお代わりした。
ご飯が旨い。さすがだ。
米どころ新潟出身の実桜ちゃんがついてくる。
今までは、いつも後から追い上げてきた実桜ちゃんが、
初手から飛ばしてきたことに、少し驚いたが、
「実桜ちゃん、もっときれいに食べて」
スタッフから注意されて、動揺したのか、実桜ちゃんは次第に遅れはじめた。
隣の山本さんが、二番手。
(今に追いつかれるんだろうけど)
しかし、今回は焦りなどないのだった。追い越されても平気、という気分だった。
菅原は、他の選手たちが自分に比べて、納豆の食べ方が下手だとさえ思った。
(あたし、納豆だけは負けない気がしてきたぞ!)
じつは菅原は、ほんとうは納豆が苦手である。
高校時代にあまりにも納豆にはまりすぎて、反動で嫌いになり、
20代は納豆を一切食べていなかった。30代になって、少し食べられるようになってきたのだが、
これほどの納豆を食べるのは、当然、初めてだった。
だが、菅原には高校時代に培った納豆食いの秘策があった。
(納豆はねー、かき混ぜすぎると粘り気が出て、かえって不味くなるんだよー)
それは嘘だ。と、お思いの方もいるでしょう。
混ぜることによって、旨味成分が出るんじゃね?と。
たしかにそう。ふつーの人の食生活においては。
だけど、これは大食い。
旨味成分は、大食いを制止する因子のひとつなのである。
信じられない、という人は、ためしに鰹節の出汁やシイタケの出汁の
たっぷり入った汁や料理を食べてみるがいい。
たぶん、あまりの美味しさに一杯で満腹になるだろう。
むしろ、旨味成分はダイエットに有効なんである。で、オッケー?
また、かき混ぜることで時間も無駄に使うしね。
菅原は、軽くチャチャッとほぐす程度で醤油をごくわずかにかけて、
(できれば塩欲しかったなー)と思いながら、快調に進んで行った。
とはいえ。
勝ち残れるという自信があった、とまでは。
これなら最後まで全力で突っ走れる!という自信はあった。
だが、自分がそうなんだったら、他の選手はもっと。
今までの試合がそうであったように、いつか、追いつかれるだろう。
その思いを振り払うために、菅原はつねに一杯だけを相手に食べ続けた。
この一杯に全力を傾ける。
それしか菅原には手がなかった。先の展開まで考えられない。
(やばい)。
折り返しを過ぎて、たぶん、試合開始から30分くらいの頃だったろうか。
ネギがなくなってしまった。
ネギのお代わりを頼んだら、もうない、という返事だったのである。
菅原は、他の選手たちが納豆に醤油をかけるのとは反対に、
薬味のネギをやたらかけていたのだが(菅原は薬味中毒である)、
その頼みの綱のネギが切れてしまった。
たしかに、昨日のレモンとは違って、ネギは初めっから「有限です」と
云われていたのだった。ネギなしかあ。
やや不安になった菅原だった。
と。その時。
山本さんが菅原にネギの皿を寄こした。
「あ、ありがとうございます」
「僕じゃなくて、菜っちゃんから」
見ると、あの曽根さんがこちらを見ていた。
でも別に笑顔というわけではなかったと思う。
菅原は軽く頭を下げ、ありがくネギを遣わせてもらった。
放映されなかったシーンであるが、曽根さんがなぜ敵に塩、
じゃなくてネギを送ったのか、今もって謎である。
曽根さんはネギがあんまり好きじゃなかったのか。
でも、その時点で、たしか菅原より遅れていたんだが。
そんなに飛ばして、いまに止まるわよ、と、思って、
先輩としての余裕を見せたかったのか。
気まぐれな優しさを示したのか。純粋な善意なのか。
曽根さんという人は、やっぱり分からない、そう思ったのだった。
しかし、いつの間にか、試合時間は終わりに近づいていた。
もちろん、菅原は全然苦しくなかった。いや、全く苦しくないというわけではないが、
お腹はたしかに張ってきたが、今までの戦いに比べたら、非常に楽なのだった。
それはたぶん、はじめて優位に立ったことから生まれた余裕だったろう。
試合終了まで5分。
なんと、菅原は3位だった。山本さん、白田さんにつづく、3位。
だが、菅原自身は平気なつもりでも、相当顔色は悪くなっていたようで、
(菅原さん、もう無理しないで大丈夫ですよ)
時折、山本さんが心配そうに菅原を窺っていた。
(私は大丈夫)
とはいえ、もう、菅原は泉さんにさえ、一杯以上の差をつけていた。
曽根さん、実桜ちゃんは、今までの試合の展開からしたら冗談のような、
最下位争いを展開していた。
菅原はそれでも、自分との約束だから、最後まで箸を動かし続けていた。
まだ、いける。
まだまだ、あたしは。
実桜ちゃんがご飯をこぼしまくっている。顔にもご飯粒がついたままだ。
あわてたプロデューサーがその顔についたご飯粒をごしごし拭きとっている。
何度も何度も小声で、
「これはテレビなんだから、もっときれいに」
と言っているのが聞こえた。
それでも、実桜ちゃんはご飯より白い顔になって、ご飯を詰め込んでいる。
実桜ちゃんの必死な顔を見ていたら、優位に立っているとはいえ、最後まで
箸を止める気にはなれない菅原だった。
有志さんが、もはや窒息寸前までつめこんでいる実桜ちゃんにインタビューをする。
実桜ちゃんは首を振って、振りながらもご飯をもっと詰め込んでいる。
命がけの死闘。すげえ。
でも、なんでこんなことになったんだろう。
ずっと自分の先を行くのかと思っていた、驚異の新星・実桜ちゃんがこれほど
苦戦しているのはなぜなのか、菅原はのちになって分析してみた。
新潟には、越後屋というおにぎりのチャレンジをやっている店がある。
大食いには当然、自信をもっている実桜ちゃんがチャレンジに行ったところ、
大食い王選手権とは違って、お店もやすやすと賞金をやってはたまらないので、
最後の方は、ご飯をぎちぎちに詰められて、
チャレンジに失敗したと。
その時の、ご飯に対する苦い思いが、実桜ちゃんを苦戦させたのではないか、
というのが菅原の見立てである。
そして。
試合終了最後の一分は、山本さん、白田さん、菅原、泉さんは、泰然としていたが、
実桜ちゃんと曽根さんの死闘のゆくえが、まったく見えなかった。
両端の選手同士の争いである。菅原は実桜ちゃんの顔を見るのも辛くなってきた。
山本さんの方を見ていると、まだ食べている。別の意味でこちらを見るのも辛い。
菅原は、空を睨みながら、箸を動かしていた。
「終了!」
終わった。
私は残った。
菅原は今度は、はっきり確信していた。
このメンバーの中で、3位。
正司さんに勝った時の、寂しさや喪失感などなく、
ただ満足感がひたひたと菅原を満たしていた。
だが。
曽根さんと、もう安全圏だと思って箸を止めていた泉さんが、
まさかの同数だったのである。
プロデューサーの三沢さん、岡田さん、演出の内山さん、ディレクターの小口さんたちが、
隅の方で相談している。
菅原は決めていた。
どんな決断が下されようと、潔く受け止めようと。
なぜなら。
他の選手たちと違って、菅原が残ることは、
むだに席が一つ増えること、だったから。
そう、たぶん、この「三宅智子さんと私」ではじめて登場するが、
菅原は息子を連れてきていた。試合のあいだ、ピクリともしなかったのは、
お行儀よく待っていたわけではなく、自費でベビーシッターさんを頼んで、
都内のシッター事務所で遊んでもらっていたからだった。
試合毎に、もう負けるに決まってますから、と、電話をかけ続けた菅原だった。
それは自分自身のプレッシャーを軽くするためと、
他の選手たちに対する、牽制というものだった。
みなさん、せいぜい油断してくださいね。
そのくらい、あたりまえじゃありませんか。
なんぼなんでも、一切の策を講じない大食い選手なんぞ、いませんよ。
この3回戦のことは、あたし、一生忘れないよ。
大食い王に出ることももうないだろうけど、楽しかったなー。
菅原は心の中でスーツケースを片手に、もう一方の手に子どもの手を引いている、
くらいの終わっちゃった気持ちでいたんであるが。
「菅原さんは勝ったんだから、当然、行けますよ」
小口さんであった。ええー。行っていいのお?
勝ったとはいえ、子どもを連れて行っちゃっていいのー。
だが、勝てば勝つほど、待遇がどんどこよくなって行く、大食い王決定戦の法則を、
菅原はようやく知り始めた。それがこの瞬間だったんである。
さあ。
ネバネバネバネバ、納豆戦を勝ち上がった菅原。
ついに。
ついに行くぞー、海外!
次の戦いの場は、神々の島、バリだあ!(つづく)
おお。終わった。為せば成る。有言実行。
明日は、魂の、じゃなかった、胃袋の休息日だあ。
飛ぶぞお!
コメントよろしくお願いしますー。
くれないと、グレてやる。
では、またあしたもあなたと。菅原でした。