三宅智子さんと私 第十六回 | 菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

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その時が来たんである。


2007年8月3日。

大食い王、秋の男女混合戦。東京予選。


会場は、築地。

食材は当日まで秘密なのだが、築地でしょー、

あれに決まっとりますがな。


菅原は、銀座から歌舞伎座の前を通って、築地に向かいながら、

にこにこしていた。


あれかー、あれだよな、築地だったら。


岩手在住の菅原がなぜ銀座を闊歩していたのかといえば、

前日から東京に来ていたからで。


ほうほう、これが有名な銀座の柳かあ、歌舞伎座で『ガラスの仮面』の、

「紅天女」をやるんだ、すげー、とか、おのぼりさん丸出しでキョロキョロ

歩いていたんである。


会場である、「さかな道楽 築地会館店」に到着した菅原は、

ぞろぞろ並んでいる、大食い選手たちの群に、一瞬くらくらした。


と、「菅原さーん」、フレンドリーな声とともに、現れたのは、

夏の日差しに溶けそうな、ギャルネエ池田こと、池田亜紀であった。


春の女王戦5位。


相変わらず細い。白い。


「会いたかったよー」と、ハグしてくる池田さんであった。


ちょっとドギマギするが、池田さんは、以前より明るい雰囲気になり、

菅原はそのことが嬉しかった。


「しかし、白いなー」と菅原。、

「いやなんだけどねー。少し黒くなりたい」

「黒い池田さんって、なんか、想像できないなー」

「いや実は、若いころはけっこう真っ黒だったよ」

「ヤマンバとか?」

「まーねー」

てな、あんまり大食いには役に立ちそうもない、のんきな会話を続けながら、

少しずつ、会場入り口に向かっていく。


行列のところどころで、有力選手や目立った格好をした選手が撮影されていた。

菅原のちょっと手前で、池田さんが呼ばれ、中村有志さんにインタビューされている。


(そうだよなー、容量ではギャル曽根に負けないもんなあ)

と、ぼんやりみていた菅原も、いつの間にか来ていたのか、例の番組プロデューサーに腕を掴まれ、

「あなたはこっちに来て」

と、列の外で待機させられたんである。


ふー、私なんか、大したことないのになー。


あらなんて謙虚な、と、お思いでしょうが、そりゃあ、天狗になっていて、あの惨敗ですもん、

謙虚にもなろうというもんですよ。


中村有志さんの隣には、

あの、伝説の大食い女王・赤阪尊子が。


菅原は、そもそも大食いというジャンルがあることを知らなかったので、

大食い王のことは、テレビ東京から出版された『大食い王選手権』という、赤い表紙の本で

勉強したのであるが、個性の強い大食い選手たちの中で、紅一点、しかも、38歳でデビューしたという、

赤阪さんに一番親しみを持っていた。


このときの、予選直前インタビューの内容はもう、あまりよく覚えていないのだが、


赤阪さんが、

「やけくそですよ」と、何度も繰り返したのが印象に残っている。


それは菅原の、マタニティっぽい、開き直ったワンピースの話だったのだが、


やけくそ、


という言葉も、赤阪さんが口にすると、

菅原の意気込みへの称賛に聞こえるのだった。


そのあと、靴を持って中に入ったところで、

「なんか初めてあった気がしないわねー、ビデオで何回も見ていたから。」

と、赤阪さんは、菅原に気さくに話しかけて、にっこりした。

こんな末端の選手を覚えていてくれるなんて、と、菅原は感動した。


菅原は、自分の次に止められた、背の高い、トレッドヘアに浴衣姿の男が、

かなり気になっていた。いいなー、あの浴衣、「風神雷神」みたい。


誰あろう、おしゃれ上條こと、上條さんだった。

決定戦出場経験者、その一である。


受付が終わって、店の中に入ると、思いのほか狭い。というか、人数が多すぎたんである。

80人以上がぎゅうぎゅう詰め込まれ、席に着いた一回戦の選手以外は、林立状態。


それにしても、ネットで見知った顔ばっかりだなあ。

あ。あれは。

「はじめましてー、菅原です」

と、挨拶した相手は、自称一般人、山口さんである。決定戦出場経験者、その二。

中肉中背、やや色白なくらいで、普通すぎるくらい普通の外見である。


だが、この男も、要チェックなんだよな。


菅原は、三宅さんのブログで、山口さんの存在を知ったのだが。

というのも、三宅さんと山口さんはけっこう親しく、

山口さんも、大食い王本戦出場者だったのである。


しかも。


「フードバトルスタジアムズ」という、大食いイベントで、

山口さんは、トロカツカレー勝負で、キング山本こと山本卓哉や、

かつて大食い王選手権で、あのジャイアント白田の好敵手だった、

射手屋侑大と同じ舞台で戦っているのである。


その戦い方は、冷静であり、ペースがほとんど変わらないという、

菅原の真逆である。って、そもそも勝負にならないんだが。


さらに。

あちこちキョロキョロしている菅原に、

「お、菅原さんじゃないですかー」

と、気さくに声をかけてきた若者がいた。


金髪のツンツン頭に、サングラス。

腕には、タトゥー。

近寄りがたい外見とは裏腹に、物腰の柔らかなこの若者は。


アーティスト泉こと、泉拓人。


ジャイアント白田、キング山本、

と、ともに、男子三強と呼ばれた、見かけに似合わずやる男。


泉さんと菅原が会うのは、これが二度目だったが、

わざわざ自分から声をかけてきた泉さんに、ちょっと驚いた。

というのも。


泉さんと菅原の初対面は、2006年11月に行われた、全日本わんこそば選手権の、

会場でだった。さらに言うと、表彰の舞台上であった。

優勝、泉拓人。賞状授与のあと、舞台で2mジャンプした泉さん。


すげえなあ。


菅原は、準優勝だったが、まるで違う世界の人を見ているようだった。


メディアの包囲する、階段の最上段での優勝インタビューで、

「賞金の旅行券で、台湾に行こうかな」とか答える泉さんを、

菅原は、階段の下の黒いビニールレザーの椅子に腰かけて、

缶コーヒーを飲みながら、ぼんやり眺めていた。


(来年の優勝インタビューのいい参考になったな)

とか思ったことは、内緒だ。


まさか、その泉さんから声をかけてくれるとは。


実は心の狭い菅原は、

「ええーっ、大食い王選手権の人に、地方の大会に来てほしくないなあ。

泉さんがいなかったら、あたしが優勝だったのにー」

と、思ったことがあるくらいで。


そんなセコイ菅原の胸の内も知らず、

「11月にまた会いましょう。負けませんよー」

と、おどけて力こぶを作ってみせる泉さんを、菅原は、いい人かもしんない、と思った。


かもしんない、じゃなくて、すげーいい人、だったんであるが。


この辺の話は、「泉拓人さんと私」を書きたくなるくらいのもんである。

ので今は割愛。


金髪のツンツンが、もう一人いた。


山本卓哉。キング山本。

一見ほっそりした、きれいな若者である。

泉さんといい、なんでみんなやせてんのー。

と、現在58kgの菅原は思った。


かんべんしてくれもう。


山本さんでしょー、泉さんでしょー、山口さんでしょー。

あと、池田さんでしょー。

指折り数えて、溜息がこぼれる菅原だった。


東京予選から二人しかとらないのに、あたしが残るわけないじゃん。


ならなぜ来たのか菅原。


でも菅原だけではないんだが。会場には、87名の大食い選手が犇めいていた。


なぜ、必ず勝てるという自信がないのに、この会場にやってきたのか。


面白そうだから。


ここにしかない、なにかがあるから。

みんなそう言うのではないか。


必ず勝てる、強い選手だけが大食い選手なのではない。

大食い大会に出場すること自体を、愛好する、そんな選手たちもいるのである。


さて、食材発表である。

だが、いくら垂れ幕で隠したって、匂いでわかってしまったんであるが。

「食材はー、これだあぁ」。


…菅原が願っていた「あれ」では全然なかった。

よりによって、これかい!

アジフライ勝負。

ちなみに菅原がずっと思っていた「あれ」とは、「寿司」である…。


もう泣いちゃおうかなー。


ともあれ、戦いの火ぶたは切って落とされた。

さあ、菅原は東京予選を勝ち残れるのか。

それとも…。

そして、菅原は実のところ、この時点でご飯なら何合食べられたのか。

(つづく)


ってわけで、明日に発表しますが、みなさん、米一升って、炊くと何キロか

知ってますか?

3200g~3400gですよ。水加減で増減しますが。

軽くお茶碗3杯分くらいが一合。

案外みんな知らないんだなー。


ちなみに、チャレンジメニューで有名な一升チャーハンは、

あれは、重量2.5kgですから、ご飯は7合くらいになるかな。


正解はあした発表しますねー。今のところ、正解者はいらしゃいません。


では、また明日のこの時間に。


菅原でした。