そのメールには、夕方のニュース番組でやっている、
大食いコーナーの担当者が連絡を取りたいと言っている、
というものだった。
その名も「腹ぺこ乙女」。
今は亡き、フジテレビの番組である。
乙女かあ? と、突っ込まないでもらいたい。
菅原の住む地域では、放映されていなかったが、
知人から、あの正司優子が出演していて、
6㎏の長崎ちゃんぽんを食べた、と聞いていた。
正司さん、すげー。
この時点で、菅原は正司さんとはまったく連絡を取っていなかった。
正司さんのことは、けっこう、いいなこの人、と、
思っていたんだが、
(大食い王決定戦で再会するまでは、連絡はとらない)
という、余人には理解しがたい、かつ、
菅原自身でも、はっきり言葉にできないような、
びみょーで隠微な理由から。
(腹ぺこ乙女に出演したら、正司さんのDVDがもらえるかも)
というのも、菅原が「腹ぺこ乙女」に惹かれた理由である。
2006年12月23日、クリスマス一色の季節に行われた、東京本戦。
菅原は東北新幹線「はやて」で9:51に東京駅に到着した。
そこで女性スタッフに引率されて、まず顔を合わせたのが、
名古屋からきた、夏目由樹であった。
おっとりして、どこか育ちのよさそうな夏目さんと、
地方大会で出されたメニューを話しながら歩いた。
ふつーの意味で食いしん坊である菅原は、
人が食べた美味しいもん話を聞くのも、ひどく好きなのだった。
東京駅で、4人の選手と女王・ギャル曽根、司会の中村有志さんが揃って、
今日の決勝への意気込みを語る、というシーンを撮る。
ギャル曽根とは、二度目だが、北海道で見たときと、雰囲気が違っていた。
どこか小さくまとまっているという印象を受けたのだった。
(まあ、やっぱ、タレントさんは、東京がホームグランドだからねえー。
かえって緊張するんだろう)
と、勝手な感想を抱きつつ、ロケバスに乗った。
ロケバスに乗り込むと、サングラスをかけた、業界人っぽい男性が、
夏目さんに、
「あれからどうだった?」みたいに話しかけた。
夏目さんにだけ、話しかけたんである。
ひがみっぽい菅原は、さっそく僻みモード全開で、
くっそー、
と思った。と、同時に、
ってことは、夏目さんが優勝候補なんだな!!
とまで邪推した。
ちなみに、その派手なサングラスの男性が、
番組プロデューサーであった。北海道予選にも来ていたのだったが、
てっきり別人だと思ってしまった菅原だった。
菅原は、この日の決勝メニューは、
「クリスマス・ケーキ」(鉄板!!)、と信じていた。
だって、クリスマスじゃん!というのが理由だが、
いかに菅原が大食い王決定戦に無知であったか、よーくおわかりであろう。
大食いというジャンルに無知だった菅原が、
決勝はラーメン、という、
直角は90度、みたいな、定理を身をもって知ったのは、この東京本戦でだった。
それにしても、身をもって知るってパターン多すぎだろ。
なんとかならんのか。
菅原は、他の三人をじとっと観察して、傲慢にも思った。
あたし以外、誰がいる?
しかし。まったくおんなしことを考えていた女がいた。
それは。
伊藤さん、であった。
伊藤美千代。当時44歳。菅原のひとつ上である。
介護福祉の仕事をしている伊藤さんは、菅原とおなじく、
でも、さらに気合いの入ったことに、上下のジャージであった。
働いている特養老人ホームのユニフォームなのだそうだ。
なんか、似てるなこの人。
と、菅原は同類の臭いを嗅ぎつけたが、のちに正司さんと話すようになって、
実はこの時、伊藤さんが、
あたしだろ。
と、激しく思っていたことを聞かされたのであった。
では、菅原が一番つよそーと思っていたのは誰だったのか。
伊藤さんのことは、自分に似ているだけに、
怖くないな、
と、思い、
肝心の正司さんに対しては、
敵じゃないな、
と、決めつけ、
うーん、なんかエラソーな人が一人だけ話しかけたし、
ここは一見大人しそうな夏目さんがヤバいな。
油断大敵じゃ!!と、俯瞰したら、思いっきり油断しまくりの、
大食い素人菅原は思うのだった。
って、大食いにおける値踏みは難しいですなあ。
ちなみに、自分は大食いではなくても、
大食い番組を好きでずっと見ている、ような人の方が、
誰が強そうかを瞬時に見抜くようだ。
かの番組プロデューサーは、今では相当なツワモノに成長した、
バイリンガル・梅村こと、梅村鈴さんについて、
2008春の女王戦において、大阪予選で敗退した梅村さんの素質を見抜き、
「あいつはやる」、と、敗者復活戦にぶつけたのだったが、
結果は、けんちん汁6.5㎏という、敗者復活戦でこれですか勘弁して、という、
記録をたたきだしたわけで。
プロデューサーの面目躍如!! さてはプロだな。って、
…プロデューサーだがね。
この東京決勝で、菅原は終始ノビノビとやっていた。
マンションの窓から、決勝を見続けている人に手を振ったり、
本で知識を仕入れた「わんこ体操」なるものをやってみたり、
もー、本当に好き勝手やっていたんである。
しかもそれで気持ちよく笑ってもらえる。
あらー、大食いってなんて楽しいのかしら。おほほほ。
って、いい加減にせえよ。
ま、それも35分くらいまででしたが。
ラスト10分は、まさしく死闘。
たぶん、菅原にとって、あれ以上のギリギリの戦いは今後もないでしょう…。
この話はまた、別の機会に。
さて、腹ぺこ乙女である。
担当ディレクターから電話があったのは、収録の一週間前だった。
この番組撮影隊の特徴として、
話がいきなり来る、というのがあるのだった。
まあ、その分、こちらの休日に合わせてもらったわけだが。
チャレンジする店は、
「ハンバーグの店 オニオン」。
テレビのデカ盛特集などで、何度も登場した、
五重塔ハンバーグで有名な、宮城県の店である。
一㎏の巨大ハンバーグが、どおんどおんどおんと、
五個積み上げられているんである。
デカ盛界屈指の巨大メニュー。
「えーっ。行ってみたかったんですよー」
歓喜のあまり、声がうわずる菅原であった。
「それは良かった。それで五重塔だとさすがに難しいと思うので、
三重の塔でやりたいと思うんですが、菅原さん、行けそうですか」
「はい!!」
断言した菅原だった。
「とん陣」の総重量2.5㎏を10分台で食べたのだ。
制限時間60分なら、余裕で3㎏のハンバーグくらい食べられるだろう。
ライスとスープ、サラダがつくことは承知していたが、せいぜい400gくらいのもんだろう。
出演の謝礼も、そんなものが貰えると思っていなかった菅原には、魅力だった。
思えば、これが菅原が貰うことになる、はじめての出演料なのだった。
さて、この当時、菅原は自分の食べられる範囲を把握していなかった。
菅原は、まだ、お腹一杯食べるのが好き、な、
フツーの人の域を超えていなかったのだ。
菅原は、まだ魔女の卵にすぎなかった。
魔女の卵が孵るのは、まだまだ先のことである……
菅原は、話が決まった日、三宅さんにメールを出した。
あのオニオンに行くことになりましたよ、と。
そう、伏線を張っておいたことを、菅原自身もうっかり忘れていたが、
春の女王戦・ハワイ決勝から帰った三宅さんと、長い電話をした日、
いくつかのキーワードが出たのだが、
6月に記録更新を遂げた「とん陣」と、もう一つが、
「オニオン」だったのである。
当時、チャレンジ成功者はおろか、完食者さえいなかった、
半ば伝説的な、「五重塔ハンバーグ」。
いつか、チャレンジ成功者として、自分の名前を刻みたい。
女王戦二回戦敗退の菅原のくせして何をいうか、とは、
三宅さんは言わなかった。
むしろ、三宅さんの方が、
「まだ日本中で誰も成功していないんですよ」と、
暗に菅原に、ぜひ、その名誉ある一号を目指してくれ、と、
言わんばかりであった。
女王戦準決勝の三宅さんが、なぜか、菅原をひどく買ってくれていたのだった。
なぜですか。
未だに謎である。
こうこうだから、菅原さんはやれる人だと思う、みたいなことは、
三宅さんは言わなかったが、
思いっきりへこんでいた菅原は、
すでにして自分が日本一になったかのような、
でっかい夢を抱いたのだった。
さて、でっかい夢への第一歩、オニオン三重の塔チャレンジ、
次回につづく。
すみません。今回も脱線してしまいましたね。
東京本戦のことは、なにからなにまでよーく覚えているので、
もし、読んでやってもいいよん、という需要があったら、
また、別の機会に書きたいなあ。
待ってるよーと言って。