三宅智子さんと私 第十三回 | 菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

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そのメールには、夕方のニュース番組でやっている、

大食いコーナーの担当者が連絡を取りたいと言っている、

というものだった。


その名も「腹ぺこ乙女」。

今は亡き、フジテレビの番組である。


乙女かあ? と、突っ込まないでもらいたい。


菅原の住む地域では、放映されていなかったが、

知人から、あの正司優子が出演していて、

6㎏の長崎ちゃんぽんを食べた、と聞いていた。


正司さん、すげー。


この時点で、菅原は正司さんとはまったく連絡を取っていなかった。


正司さんのことは、けっこう、いいなこの人、と、

思っていたんだが、


(大食い王決定戦で再会するまでは、連絡はとらない)

という、余人には理解しがたい、かつ、

菅原自身でも、はっきり言葉にできないような、

びみょーで隠微な理由から。


(腹ぺこ乙女に出演したら、正司さんのDVDがもらえるかも)

というのも、菅原が「腹ぺこ乙女」に惹かれた理由である。



2006年12月23日、クリスマス一色の季節に行われた、東京本戦。


菅原は東北新幹線「はやて」で9:51に東京駅に到着した。


そこで女性スタッフに引率されて、まず顔を合わせたのが、

名古屋からきた、夏目由樹であった。


おっとりして、どこか育ちのよさそうな夏目さんと、

地方大会で出されたメニューを話しながら歩いた。


ふつーの意味で食いしん坊である菅原は、

人が食べた美味しいもん話を聞くのも、ひどく好きなのだった。


東京駅で、4人の選手と女王・ギャル曽根、司会の中村有志さんが揃って、

今日の決勝への意気込みを語る、というシーンを撮る。


ギャル曽根とは、二度目だが、北海道で見たときと、雰囲気が違っていた。

どこか小さくまとまっているという印象を受けたのだった。


(まあ、やっぱ、タレントさんは、東京がホームグランドだからねえー。

かえって緊張するんだろう)

と、勝手な感想を抱きつつ、ロケバスに乗った。


ロケバスに乗り込むと、サングラスをかけた、業界人っぽい男性が、

夏目さんに、

「あれからどうだった?」みたいに話しかけた。

夏目さんにだけ、話しかけたんである。


ひがみっぽい菅原は、さっそく僻みモード全開で、

くっそー、

と思った。と、同時に、

ってことは、夏目さんが優勝候補なんだな!!

とまで邪推した。


ちなみに、その派手なサングラスの男性が、

番組プロデューサーであった。北海道予選にも来ていたのだったが、

てっきり別人だと思ってしまった菅原だった。


菅原は、この日の決勝メニューは、

「クリスマス・ケーキ」(鉄板!!)、と信じていた。

だって、クリスマスじゃん!というのが理由だが、

いかに菅原が大食い王決定戦に無知であったか、よーくおわかりであろう。


大食いというジャンルに無知だった菅原が、

決勝はラーメン、という、

直角は90度、みたいな、定理を身をもって知ったのは、この東京本戦でだった。

それにしても、身をもって知るってパターン多すぎだろ。

なんとかならんのか。



菅原は、他の三人をじとっと観察して、傲慢にも思った。


あたし以外、誰がいる?


しかし。まったくおんなしことを考えていた女がいた。

それは。


伊藤さん、であった。


伊藤美千代。当時44歳。菅原のひとつ上である。

介護福祉の仕事をしている伊藤さんは、菅原とおなじく、

でも、さらに気合いの入ったことに、上下のジャージであった。

働いている特養老人ホームのユニフォームなのだそうだ。


なんか、似てるなこの人。


と、菅原は同類の臭いを嗅ぎつけたが、のちに正司さんと話すようになって、

実はこの時、伊藤さんが、


あたしだろ。


と、激しく思っていたことを聞かされたのであった。


では、菅原が一番つよそーと思っていたのは誰だったのか。


伊藤さんのことは、自分に似ているだけに、

怖くないな、

と、思い、


肝心の正司さんに対しては、

敵じゃないな、

と、決めつけ、


うーん、なんかエラソーな人が一人だけ話しかけたし、

ここは一見大人しそうな夏目さんがヤバいな。


油断大敵じゃ!!と、俯瞰したら、思いっきり油断しまくりの、

大食い素人菅原は思うのだった。


って、大食いにおける値踏みは難しいですなあ。


ちなみに、自分は大食いではなくても、

大食い番組を好きでずっと見ている、ような人の方が、

誰が強そうかを瞬時に見抜くようだ。


かの番組プロデューサーは、今では相当なツワモノに成長した、

バイリンガル・梅村こと、梅村鈴さんについて、

2008春の女王戦において、大阪予選で敗退した梅村さんの素質を見抜き、

「あいつはやる」、と、敗者復活戦にぶつけたのだったが、


結果は、けんちん汁6.5㎏という、敗者復活戦でこれですか勘弁して、という、

記録をたたきだしたわけで。

プロデューサーの面目躍如!! さてはプロだな。って、


…プロデューサーだがね。


この東京決勝で、菅原は終始ノビノビとやっていた。

マンションの窓から、決勝を見続けている人に手を振ったり、

本で知識を仕入れた「わんこ体操」なるものをやってみたり、

もー、本当に好き勝手やっていたんである。


しかもそれで気持ちよく笑ってもらえる。

あらー、大食いってなんて楽しいのかしら。おほほほ。


って、いい加減にせえよ。


ま、それも35分くらいまででしたが。

ラスト10分は、まさしく死闘。

たぶん、菅原にとって、あれ以上のギリギリの戦いは今後もないでしょう…。

この話はまた、別の機会に。


さて、腹ぺこ乙女である。

担当ディレクターから電話があったのは、収録の一週間前だった。


この番組撮影隊の特徴として、

話がいきなり来る、というのがあるのだった。

まあ、その分、こちらの休日に合わせてもらったわけだが。


チャレンジする店は、

「ハンバーグの店 オニオン」。


テレビのデカ盛特集などで、何度も登場した、

五重塔ハンバーグで有名な、宮城県の店である。


一㎏の巨大ハンバーグが、どおんどおんどおんと、

五個積み上げられているんである。

デカ盛界屈指の巨大メニュー。


「えーっ。行ってみたかったんですよー」

歓喜のあまり、声がうわずる菅原であった。


「それは良かった。それで五重塔だとさすがに難しいと思うので、

三重の塔でやりたいと思うんですが、菅原さん、行けそうですか」

「はい!!」

断言した菅原だった。


「とん陣」の総重量2.5㎏を10分台で食べたのだ。

制限時間60分なら、余裕で3㎏のハンバーグくらい食べられるだろう。

ライスとスープ、サラダがつくことは承知していたが、せいぜい400gくらいのもんだろう。

出演の謝礼も、そんなものが貰えると思っていなかった菅原には、魅力だった。


思えば、これが菅原が貰うことになる、はじめての出演料なのだった。


さて、この当時、菅原は自分の食べられる範囲を把握していなかった。

菅原は、まだ、お腹一杯食べるのが好き、な、

フツーの人の域を超えていなかったのだ。


菅原は、まだ魔女の卵にすぎなかった。

魔女の卵が孵るのは、まだまだ先のことである……


菅原は、話が決まった日、三宅さんにメールを出した。

あのオニオンに行くことになりましたよ、と。


そう、伏線を張っておいたことを、菅原自身もうっかり忘れていたが、

春の女王戦・ハワイ決勝から帰った三宅さんと、長い電話をした日、

いくつかのキーワードが出たのだが、


6月に記録更新を遂げた「とん陣」と、もう一つが、

「オニオン」だったのである。


当時、チャレンジ成功者はおろか、完食者さえいなかった、

半ば伝説的な、「五重塔ハンバーグ」。


いつか、チャレンジ成功者として、自分の名前を刻みたい。


女王戦二回戦敗退の菅原のくせして何をいうか、とは、

三宅さんは言わなかった。


むしろ、三宅さんの方が、

「まだ日本中で誰も成功していないんですよ」と、

暗に菅原に、ぜひ、その名誉ある一号を目指してくれ、と、

言わんばかりであった。


女王戦準決勝の三宅さんが、なぜか、菅原をひどく買ってくれていたのだった。


なぜですか。


未だに謎である。


こうこうだから、菅原さんはやれる人だと思う、みたいなことは、

三宅さんは言わなかったが、


思いっきりへこんでいた菅原は、

すでにして自分が日本一になったかのような、

でっかい夢を抱いたのだった。


さて、でっかい夢への第一歩、オニオン三重の塔チャレンジ、

次回につづく。


すみません。今回も脱線してしまいましたね。


東京本戦のことは、なにからなにまでよーく覚えているので、

もし、読んでやってもいいよん、という需要があったら、

また、別の機会に書きたいなあ。


待ってるよーと言って。