三宅さんは、テレビ番組の収録などで
何度も訪れているらしく、ジャンボカツ定食にチャレンジした
知り合いの話などを親しげに交わしていた。
と、主人が店の奥にちょっと引っ込んだと思ったら、
「ちゃんと用意してありますから」
と、賞金の袋を菅原に見せてくれた。
電話で、はじめなかなか日程の調整がつかず、
今月じゃなくても、ジャンボカツ定食はいつでもやっていますが、
という店主に、
「キャベツの柔らかな今の季節じゃないと。
完食は目標じゃない、記録更新したいんで」
と、思わず、熱く語った菅原だったのだが、
賞金を用意してくれたところを見ると、
すこしは買ってくれているのだろうか?
菅原は、賞金を頂く自分の姿をイメージするのだった。
店内は、想像以上にこじんまりとしており、
厨房の中に入った店主が、チャレンジメニューに取り掛かる姿も、
ちょっと身を乗り出すようにすると、よく見えるのだった。
大きなカツ用の肉は、ブクブク沸き立つ揚げ物鍋の中で、
じっくり揚げられており、
揚げる、というより、油で茹でられている、
という方がふさわしいような感じであった。
揚げたてのカツの、揚げ油に豚の脂が混じり合った、
実にそそられる香りがプンプンした。
カツは、問題ないな。
と、菅原は胸をなでおろした。
菅原は脂っこいものが苦手なんじゃないの、と、
突っ込まれた方もおいででしょうが、
ふつうに食べる分には、
カツも肉も、コロッケも、
天麩羅もドーナツも
いまどき貴重なバターたっぷりのホワイトソースも、
薔薇色の、乳の匂いがするようなステーキも、
全部好きである。
ただ、
大食い選手権になると、
すべての食べ物が、突如、
苦手、
になるというだけである。
藤田操さんが、かつて、
インタビューで、
得意な食べ物は?
と聞かれて、
すべての食べ物が苦手。
と答えていたが、
その気持ちはよーくわかる菅原であった。
カツは、700g。
むしろ、油がのどのとおりを良くするくらいである。
肉は質量が大きいから、嚥下するのは楽勝であろう。
問題は、ご飯とキャベツ。
家でも大量の千切りキャベツに醤油をかけて、ご飯と食べてみたが、
思うようなスピードが出なかった。
キャベツは噛めば噛むほど、繊維質がクチャクチャと絡まって、
飲み込みづらい。
噛むのはほどほどにして、ご飯で押し込むようにしてやると、
喉を通って行きやすかった。
後は、これにカツの油を絡めれば、たぶん、もっと通りが良くなるだろう。
しかし、巨大カツはそうそう家で作れないので、キャベツとご飯のタイムだけを計っていたのだが、
ひどく時間がかかってしまうのだ。
こんなはずでは…。
三日前ともなると、菅原はかなり焦っていた。
このままでは、東京に行っても記録更新できないんじゃないだろうか。
実は菅原は、9分台を目標にしていたのだった。
三宅さんは、顎が弱いということを、自分でもよく言っていた。
その顎の弱い三宅さんが10分台なら、
9分台、全然オッケーじゃん。
これが素人のこわさである。
三宅さんをなんだと思ってるんだ、と、
三宅ファンから石が飛んできそうである。
しかし、ご飯キャベツトレーニングにやや疲れてきた今となっては、
これを10分台で食べた三宅さんって、
思っていたよりやるんじゃね?
と、三宅さんを見直す菅原だった。
三宅さんは、小柄で、いつもニコニコしているという、
あまり、強く見えないイメージのせいで、
大食い的に軽くみられがちであったが、
実は、けっこうやる人だった。
この時はまだ、その一端にふれただけであったが。
やがて菅原は、壁にぶつかる度に、
三宅さんにメールを打つことになるのだった……。
カツが揚がった。
サクサクと俎板の上で切られる音が、
いかにも美味しそうだった。
4人がけのテーブルに並べられたジャンボカツ定食。
キャベツの千切りが、ひどく繊かい。
キャベツの好きな菅原は、定食についてくるキャベツの千切りが、
ザクザクと荒っぽかったり、機械で切ったものだったりすると、
心底、
がっかりだよー、
と、首が前に落ちるのだったが、
とん陣のキャベツには、間然するところがなかった。
キャベツの切り口が、ピカピカ光っている。
とん陣のチャレンジ前日。
菅原は、何度目かの、キャベツとご飯、合計1500gに挑戦したのだが。
10分近くかかってしまっていた。
その上、700gのカツを入れたら、タイムはもっと遅くなるのだろうか。
菅原は、そう思わなかった。
自分から、記録更新を投げる気はない。
菅原のイメージしたのは、
喉のあたりにねばりつき、なかなか落ちていかないご飯と、
噛んでも噛んでも、なかなかまとまらず、嚥下しずらいキャベツを、
油をたっぷり吸った、巨大なカツが、
タクワン石のように、押しつぶす図だった。
キャベツが捗らないのは、嚥下するために必要な
、
ある程度の質量に欠けるからだった。
喉を速やかに通って行くには、
軽すぎるものは不向きなのだった。
これが、極細ラーメンが胸のあたりで詰まって、
下に落ちていかない原因である。
むしろ、極太ラーメンの方が落ちやすい。
まあ、今度は咀嚼に苦労するのだが。
大食いにとって、嚥下の問題はけっこう奥が深い。
さて、テーブルの上に戻ろう。
ジャンボカツ定食には、
キャベツご飯トンカツ、
の他に、けっこうたっぷりのお新香と、
お茶と味噌汁がつけられている。
水分だけだと、500mlくらいであろうか。
キャベツと、水分の少なさ。
これが記録更新を阻むのだろう。
戦いが始まろうとしていた。
店主と、菅原の。
ミヤケトモコと菅原の。
そして、一番厄介な敵が、
菅原自身であった。
春の女王戦、二回戦。
梅の林の上に、大きな月が上がり、
「まるで、能舞台のよう。私のための最高の舞台だわ」
まで、言いきった菅原(放映されなくてなによりです)に、
番組プロデューサーが、
「そんなことを言う人はいないよ」
と、苦笑していたのだが。
その最高の舞台で、自ら幕引きを演じたのは、
なんとも間抜けなことであった。
もういいや、
と、
箸を置いた瞬間、
気持ちは楽になったが、
楽を選んだことによって、
菅原が抱え込んだものは、
いつまでたっても消えない、
悔い、というものだった。
二度と、大食いで後悔だけはしたくない。
たとえ、力及ばず負けることがあっても
、
後ろを見せるような、負け方だけはしたくない。
菅原は一万回目のシュミレーションを終えると、
「いただきます!」と、
箸をとった。(つづく)
すみませんねえ。
今日も食べられなかった…。とほほ。
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こんな展開ですが、おつきあい下さいねー。