三宅智子さんと私 第九回 | 菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

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「おひさしぶりです!」


待ち合わせた練馬の駅に、


黒と白のコントラストのきいた、


大柄なプリントのワンピースの三宅さんが、


現れた。


ノースリーブからのぞいた、丸みを帯びた、


意外に広い肩と、柔らかそうな二の腕。




久しぶりに会う三宅さんは、


春の女王戦の時より、


溌剌として、肌がきれいになり、


楽しげだった。



気のせいか、また一段と、


眼力がアップしたような気がするなあ。



だが、


このころの三宅さんは、


まだ、羽化の途中だった。




ふとした瞬間、


ちょっとした言葉の端はしに、



サナギから抜け出ようとしている、稚い蝶や、


孵化したばかりで、羽毛が濡れている雛、



そういった、非常にデリケートで傷つきやすいものを、


感じさせるのだった。



「三宅さん、最近ずいぶんテレビに出てますねー」


「あ、あれはかなり前に収録したもので、最近はヒマですよおー」



歩きながら、菅原は最近はじめたレジの仕事について、


「プラスマイナス0円になるのが、すごい気持ちいいんですよね」


と、話した。


「私もレジやっていたことあるから、分かりますよー」


中学卒業後、高校には行かず、スーパーでアルバイトをしてお金を貯めたことや、


その貯金を持って上京後、コンビニエンス・ストアでアルバイトをしていたことを、


あっけらかんと楽しそうに話す三宅さんだった。



女友達と暮らすアパートや、


通信教育の高校のレポートを一気呵成に仕上げていたことや…。



三宅さんは、女王戦の前日の健康診断で会った時から、


自分のことを、隠さず、飾らず話す人だった。


今でもそうだが、時々、いいのかここまで言っちゃってもおい、


とか思う菅原である。



ハッキリ言って、自己韜晦が趣味の菅原にはできない技である。


たぶん、菅原に対してだけではなく、


三宅さんはそういう人間なのだろう。




健康診断後、引率の女性スタッフとともに、


数名の選手は、


電車でホテルに移動したのだが。




菅原は、てっきり、


「エステ三宅」なら、タクシーで単独移動、


であろうと思っていた。



が。


「私、いつも電車ですよー」


というではないか。



テレビ業界にはとんと無知な菅原は、


テレビに出ている人、


は、


みんな芸能人であり、


もれなくマネージャーがついてくる。


もんだと思い込んでいたんである。



そういや、去年(2006年)の12月に札幌で行われた地方大会、


ギャル曽根こと曽根さんが、


たった一人だったのは、驚いたなあ。



マネージャーなしだし、メイクも自分でやっていて、


移動のロケバスも、選手もスタッフもタレントも一緒、


なんだもの。



マネージャーって、どこ?


と、菅原はキョロキョロしてしまった。



そいでもって、仕事の経過を東京にいるらしいマネージャーに、


電話で話している時の曽根さんは、




ロケ中の、強気強気笑顔笑顔、の、


大食い女王のギャル曽根、


ではなく、


札幌の冷たい空気で凍えたような、


心細げな小さな声の、


気弱そうな中学生、みたいな感じ、


だった。



タレントって、マネージャーにえばっているもんだと、


その時まで思い込んでいたのだが。


いろいろ勘違いというか、思いこみの多い菅原であるが、


ふつうに暮していれば、そんなもんですよね。



さて、三宅さんと菅原は、とん陣でのチャレンジまで、


ファミリーレストランで過ごすことにした。


菅原は、あんまりお腹が空いていても、逆効果だろうと思い、


三宅さんと会う前に、せっかくだからと遊びによった上野公園で、


レストランに入っていた。


この頃の菅原は、


まだ確固とした方法論を見つけていなかったのである。



ここでも、なにかお腹に入れておいた方がいいのかな。



菅原がメニューに手を伸ばした時…(つづく)