「おひさしぶりです!」
待ち合わせた練馬の駅に、
黒と白のコントラストのきいた、
大柄なプリントのワンピースの三宅さんが、
現れた。
ノースリーブからのぞいた、丸みを帯びた、
意外に広い肩と、柔らかそうな二の腕。
久しぶりに会う三宅さんは、
春の女王戦の時より、
溌剌として、肌がきれいになり、
楽しげだった。
気のせいか、また一段と、
眼力がアップしたような気がするなあ。
だが、
このころの三宅さんは、
まだ、羽化の途中だった。
ふとした瞬間、
ちょっとした言葉の端はしに、
サナギから抜け出ようとしている、稚い蝶や、
孵化したばかりで、羽毛が濡れている雛、
そういった、非常にデリケートで傷つきやすいものを、
感じさせるのだった。
「三宅さん、最近ずいぶんテレビに出てますねー」
「あ、あれはかなり前に収録したもので、最近はヒマですよおー」
歩きながら、菅原は最近はじめたレジの仕事について、
「プラスマイナス0円になるのが、すごい気持ちいいんですよね」
と、話した。
「私もレジやっていたことあるから、分かりますよー」
中学卒業後、高校には行かず、スーパーでアルバイトをしてお金を貯めたことや、
その貯金を持って上京後、コンビニエンス・ストアでアルバイトをしていたことを、
あっけらかんと楽しそうに話す三宅さんだった。
女友達と暮らすアパートや、
通信教育の高校のレポートを一気呵成に仕上げていたことや…。
三宅さんは、女王戦の前日の健康診断で会った時から、
自分のことを、隠さず、飾らず話す人だった。
今でもそうだが、時々、いいのかここまで言っちゃってもおい、
とか思う菅原である。
ハッキリ言って、自己韜晦が趣味の菅原にはできない技である。
たぶん、菅原に対してだけではなく、
三宅さんはそういう人間なのだろう。
健康診断後、引率の女性スタッフとともに、
数名の選手は、
電車でホテルに移動したのだが。
菅原は、てっきり、
「エステ三宅」なら、タクシーで単独移動、
であろうと思っていた。
が。
「私、いつも電車ですよー」
というではないか。
テレビ業界にはとんと無知な菅原は、
テレビに出ている人、
は、
みんな芸能人であり、
もれなくマネージャーがついてくる。
もんだと思い込んでいたんである。
そういや、去年(2006年)の12月に札幌で行われた地方大会、
ギャル曽根こと曽根さんが、
たった一人だったのは、驚いたなあ。
マネージャーなしだし、メイクも自分でやっていて、
移動のロケバスも、選手もスタッフもタレントも一緒、
なんだもの。
マネージャーって、どこ?
と、菅原はキョロキョロしてしまった。
そいでもって、仕事の経過を東京にいるらしいマネージャーに、
電話で話している時の曽根さんは、
ロケ中の、強気強気笑顔笑顔、の、
大食い女王のギャル曽根、
ではなく、
札幌の冷たい空気で凍えたような、
心細げな小さな声の、
気弱そうな中学生、みたいな感じ、
だった。
タレントって、マネージャーにえばっているもんだと、
その時まで思い込んでいたのだが。
いろいろ勘違いというか、思いこみの多い菅原であるが、
ふつうに暮していれば、そんなもんですよね。
さて、三宅さんと菅原は、とん陣でのチャレンジまで、
ファミリーレストランで過ごすことにした。
菅原は、あんまりお腹が空いていても、逆効果だろうと思い、
三宅さんと会う前に、せっかくだからと遊びによった上野公園で、
レストランに入っていた。
この頃の菅原は、
まだ確固とした方法論を見つけていなかったのである。
ここでも、なにかお腹に入れておいた方がいいのかな。
菅原がメニューに手を伸ばした時…(つづく)