休みとはなにか。
休みとは、間である。
日常の仕事や、生活との間で作られた時間的余裕である。
その時間内に人々は通常に満たしえなかった何かを求めて活動する。
そして、精神的な余暇を自ら実現するのだ。
それが終われば、日常の世界へと埋没していく。休みとは、水泳しているときの息継ぎのほんの一瞬のようなものに思える。
泳ぐことが真の目的であり、息継ぎはその二次的に発生する行為にほかならない。
息継ぎをすることは、本来の活動が息が充分にできないから成り立つのであり、本来の活動が充分に呼吸できるのであれば、息継ぎする必要などなくなってしまう。
「ぷはー」という爽快感も、瞬間に吸う酸素のおいしさも、味わうことはできないのだ。
つまり、休みは、日常の泳ぎに懸命になっていない限り、その醍醐味を味わうことをさせてくれない。
むしろ、休みという間の概念さえも、消えていってしまうのだろう。
つまり、休みを満喫することは、時間的な空白を単につくることではない。
空白を目立たせるほどの、埋め尽くされた活動が必要なのだ。
間隙を何によって、作るのか。
それが問題だ。