Withoutworrying -2ページ目

カレー

夫とカレーを食べた。久しぶりに美味しいものを作った。20分の充実。
電車でダイヤだれけのエンゲージリングをした女の人を見た。ためいきを一つ。
お笑い番組でストッキングに顔を入れてゲームしてるのを見て真似して被ってみた。犬が心配してストッキング越しに顔を舐め回してきた。可愛い。

おばあちゃんの帽子。
小学校の低学年の頃の雪の日、おばあちゃんが編んでくれた毛糸の帽子被って、団地の横の公園で雪遊びをした。遊んでるうちに手がかじかみ、足の先が冷たくなった。頭を触ると、毛糸の帽子には薄ら雪が積もっていた。帽子が冷たくなってる。。おばあちゃんがくれた毛糸の帽子は私の一番高い場所にいる。だから一番寒いはずだと思った。私を暖めてくれた毛糸の帽子を今度は私が暖めないと!私は考えたあげくに雪で覆われた花壇に穴を堀る。小さな赤い手で帽子の冬眠の巣を作る。そこに、そっと帽子を入れて、また遊びに更けた。
帰った私はおばあちゃんの毛糸の帽子が無いと泣いて母を困らせたが、少し経つと思い出し、母の手を引いて、帽子をつかの間の冬眠から目覚めさせたのである。母はチョコを買って来てくれたと思う。

現実と物語の間があいまいだったころ。私はわたしでしかなかった。

無題

大好きな人や愛してる人が私と共有出来ない、楽しいことや感動を受けること、素敵なことや人に出会うことを嫉妬せずに喜べる、そんな風になりたいものです。
周りの人に望むのことが出来ることが大事なんですね。。。

ふと思い出すこと。父の匂い。
私が記憶にないころに私の母と父は別れることになり、私の幼少期の父の思い出はすでに家族では無くなっていた。私がこの人は父と理解するころにはとっくに。私が2歳の時に母の父、おじいちゃんが死んだ。父親の癌を母は知らされていなく、幼い私の記憶には、もの凄い早さで用意し遠い異国(そのころの私には東京と長野は外国なみに離れて感じた)に行ってしまった。そして残された私と姉の面倒を父がみることになった。私の一番古い父の記憶がこの時で、父はうちとは違う匂いがした。夜には本を読んでくれたが、私の中には違和感でいっぱいだった。この人はうちの人では無いと思った。もっとも、寂しさを感じたのは、それから、まだ先の話だ。

ひとつひとつの家には、それぞれの匂いがあり、ルールがある。他にもその家の者しか分からないことがいっぱい。父は私たちの家には居れなかった。居たくなかったか、母がいて欲しくなかったか、どんな事情があったかは、私はよく知らない。私の人生において、父の存在は異質で遠く、それでいて悲しい存在だ。でも、父には父の場所があって、(もしくは探していて)そこでは、違う父の存在があったのだろう。
私も世間一般には大人の歳になり、6年間の同性を経て、結婚し、夫と犬と東京の端で暮してる。今はもう、実家とは異質な匂いになったことだろう。

無題

自分の想いを整理するためにブログをはじめる。
私の世界のほとんどが母だった幼少、ケンカばかりだった姉への憧れ、手に入らなかった父、夫と私と犬、色褪せない思い出とセピア色の思い出、煩わしいこと、バカなこと、愛、他いろいろ。
どこかに書いとけばいいんだけど、ブログにしたのはやっぱり誰かに聞いて欲しいからだろう。
でも、いざ書こうと思うと何を書いていいやら。困った。
そういえば私は何事も最初が苦手だった。そして、人一倍慣れるのが遅い。そのくせ新しいものが好き。で、結構自己顕示欲が強かったりするので苦労する。いやだいやだ。

とりあえず、幼少の思い出。
母の魔法の指輪。母と姉と私がまだボロボロの小さなアパートに住んでいた頃、母は魔法の指輪を付けていた。母の父(私たち姉妹のおじいちゃん)が母に贈った、青い石の付いた指輪。そのキラキラした青い石が大好きで私たち姉妹は度々、母の指に光るそれを覗き込んだ。母はそれを魔法の指輪だと言っていた。あなたたちの考えてることが分かっちゃう魔法の指輪だと。私が今でもハッキリ覚えているのは、母が、私が夕飯に何が食べたいかピッタリと言い当てたとき。母は本当に魔法が使えると思ったこと。今考えると、その前に何かやり取りがあって、母の誘導作戦にすっかり引っかかっただけのことだろう。でも、あの時から何年か私の中で、母は確かに魔法使いだった。そして度々、今は心を読まないでとお願いしたものだった。それから、住宅に引っ越して、私は小学生になって、いつの間にか、母は魔法の指輪をしなくなっていた。