去年4月から始めたお遍路バスツアーが終わりました。

何だか心にぽっかり穴が開いたような感じです。



その時その時の一期一会の出会い。

色んな方と毎月話をしたのも今では大切な思い出です。



第1回目、参加した時にバスで相席になった、

同じくらいの年齢の人と途中から話をするようになり、

お寺も一緒にまわった女の人がいました。



連絡先を交換するほどではなかったんですが、

『来月(5月)参加するかどうか迷ってる。

『かえでさんは来月参加するの?』と聞かれたので、



『5月○日でもう申込んでて、6月は○日を申込むつもり』と

話してましたが、5月6月ともに再会はなく、

結局そのまま最後まで彼女と会う事はありませんでした。



結局あの後、彼女はずっと参加してたのかなぁ。

4月でもうやめてしまったんだろうか。

大きなお世話だけど、最後まで参加していてほしいな。



もちろん『私に話しかけてくるな』オーラ全開の方もいました苦笑

確率は、

めっちゃ話す:話しかけてくるな=9:1 くらいかな?

大抵の方はフレンドリーでした。


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●好きなお寺






四国八十八ヶ所の中で、

大のお気に入りのお寺は・・・迷うなあ。

雲辺寺・八栗寺・竹林寺・焼山寺でしょうかチューリップ



次に

太龍寺・金剛福寺、石手寺・浄瑠璃寺・岩屋寺、

前神寺・三角寺・太龍寺・善通寺・弥谷寺・根香寺かな?にゃ

沢山あるなぁ。



主に本堂・大師堂しかまわらない事が多かったので、

じっくりとお寺の隅々まで行ったら

また好きなお寺が変わってくるのかも?



焼山寺の杉の木は感動ものでした。

私は花粉症ではありませんが、

それでもあまりいい印象のない杉の木が、

あんなにいいものだとは思わなかった。

景色も素晴らしかったです。



でも、一日何ヶ寺もまわると

写真を見たら思い出せても、名前だけでは

思い出せない所もあります。

それが本当に残念です。


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●先達さん




毎回先達さんが同行してくれ、それぞれの方に個性がありましたニコニコ



親分肌的のご住職や、お話好きの先達さん、

女性の先達さん、色々な方がいました。



皆さんいい方ばかりでしたが、私的には、

第1回目の先達さんが1番印象に残りました。



他の先達さんのように面白い話で笑わせるでもなく、

興味深い知識を披露される事もそれ程なかったんですが、

ソフトな印象の方で、読経のタイミングも

こちらを十分に意識され、とても唱和しやすかったです。

(先達さんによっては、読経の入るタイミングが

難しい方も中にはいらっしゃいますので苦笑



そして印象的だったのは帰りのバスの中での挨拶でした。



ご自身の挨拶が終わった後、その先達さんは、

添乗員さんや、運転手の方など全員の労を個別にねぎらい、

その度ごとにその方たちへの

『拍手をお願いします!』と、私達に おっしゃってました。



その方 以外の先達さんは、全員ご自身の挨拶だけで、

そこまでされてませんでした。



でも多分それが普通。

実際、その労う行為はいつも添乗員さんがやっていました。



第1回の先達さんが飛びぬけて とても気配りのある方で、

本当に優しい方でした。



奥さんが亡くなられた事がきっかけでお遍路を始められたそうで、

きっと仲の良いご夫婦だったんだろうな・・・。

想像に難くありません。



結願までに またあの先達さんに

会えたらいいな~と思っていましたが、

結局それきりでした。



50代くらいの方だったので、仕事されていらっしゃるでしょうから、

日帰りでないと先達は難しかったのかな。

とても残念です。


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お寺へと行くようになったきっかけは、母の死でした。



人は亡くなると どうなるのか、ネットで色々調べたところ、

四十九日に薬師如来様に母が会う事になると知り、

『母をよろしくお願いします』と直接お願いをしに行こうと、

四十九日その日に、奈良の薬師寺を訪れたのが最初でした。

(法要はその前の日曜日に済んでいましたので)



詳しく調べるうちに、霊場や御朱印の存在を知りました。

四国八十八ヶ所は言葉だけは さすがに知っていましたが、

西国三十三ヶ所は、

聞きたい事があったので後ほど某お寺へ問い合わせた時に

初めてその存在を知りました・・・ガーン


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母の供養になればと思って始めた参拝。



お寺の あの独特の雰囲気・空間。そして仏様。

お寺へ行くと癒されもしますが、

それ以上に何だか慰められている気がします。



仕方のない事なんだよと。避けては通れないものなんだよと。

物言わぬ仏様に慰められているような気がします。



参拝するにつれ気付いたのは、

お寺へ行く事は、

亡くなった後でも唯一できる親孝行なのかなって。



普通は、亡くなってしまったら もう親孝行は出来ません。

でも、供養と言う名の親孝行なら出来るんじゃないかって。



私は何も親孝行できなかった。



でもお寺へ参拝する事、写経や納札を納めたりする事、

もしそれが本当に親孝行になっているのなら、

生前できなかった親孝行を今している、今できているという思いが、

自分を少し落ち着かせ、慰めにもなっています。



母の為と思って始めたお寺の参拝。でも結果、

母の為だけでなく、自分の為でもあった事に気付きました。


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母が20代の時に亡くなったおばあちゃん。

私が生まれてすぐに亡くなったので、記憶は全くありません。



母が亡くなる間際、意識のはっきりしていない状態で、

『お母ちゃん、お母ちゃん』と言っていた姿を思い出します。

おばあちゃんが亡くなってから何十年も経つのに。



おばあちゃんがどんな人だったのか、

話を聞いてあげていれば良かった。

母は本当は誰かに

おばあちゃんの話をもっとしたかったんじゃないのかな。



今頃は、おじいちゃんや おばあちゃんや伯母ちゃん達と

お茶でもしているだろうか。楽しくやってるかな。

どうか笑顔で幸せに過ごしていてほしい。



四国八十八ヶ所へ行って、少しは供養になっただろうか。

少しでも親孝行できただろうか。


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例えツアーでも、四国八十八ヶ所に行って本当に良かったです。

母の為だけでなく、自分自身も心から楽しめました。



今 行かれている最中の方、これから予定されている方、

どうか道中お気を付けて。

良いお遍路を。





南無大師遍照金剛。