朝の格闘 | 不登校その後、今は大学生

不登校その後、今は大学生

中学の頃から五月雨登校。
高校も転校できないまま何度も危機を乗り越えてギリギリ卒業。一浪の末に大学生になった子供の話です。
過去を振り返って書いています。共感してもらえるといいなと願いながら・・・

朝の格闘が始まったのは中1の頃。

毎朝、起きない。

ベッドのそばまで行って叩き起こすと、ものすごく不機嫌になり今日は休むと言う。
逆に起こさないと、絶対に起きないので確実に休む事になる。
たまに起きていても、のんびりしているので時間的にギリギリになり間に合わないと言って休む。


とにかく、何かしら難癖つけて休む口実を考えているように見えました。


今日は行くのかな?と期待できる風でも、出かける時間の少し前にトイレに入り、そのまま出てこないんですけどね。


この時間までと言われている登校時間に間に合うように行った日は中2の1年間ではたった数日だったと思います。


この頃の私は息子の全てにおいてめちゃくちゃ干渉していましたので、もちろん朝の行動も監視していました。
息子がトイレにこもってしまったら、私もトイレの前から離れずに、
ドンドンとけたたましくノックしたり
大声で「早く!遅刻するから!」と叫んだり
ドア越しに説教を始めたりしていました。


でも、そんな事をしても出てくる事はなく、
私のタイムリミット(出勤時間)が来るのです。
放って出勤する時もありましたが、腹が立って仕方ない時や気になって仕方ない時は、私は自分の出勤時間を無視しました。



当時、私も仕事をよく休みました。
遅刻もよくしていました。


しかし、会社の人には子供が不登校だと話していませんでした。


当時パートしていたその会社は事務員のパートがたくさんいる職場で、その頃勤め始めて9年目位でした。
私も事務職でしたが、基本的には自分の仕事は自分でやるというスタイルで、休んでも仕事が溜まるだけで誰かに迷惑をかけるような感じではありませんでした。
なので、詳しい事情を内緒にしながら休んだり遅刻したりしていても辞めずにいられたのだと思います。
本当にありがたい事でした。




私自身も遅刻や休む時、

体調が悪い。
お腹が痛い。
子供を病院に連れて行く。


など、毎回苦しい言い訳をしていました。
やってる事は子供と一緒ですよね。


幸いだったのは、その会社は勤務時間に寛容だったこと。
出勤簿がタイムカードではなかったので融通がききました。
30分遅刻したら30分残ってもいいし、
嫌ならそのまま定時で帰ってもいい。
休憩時間を少し減らしてその分働いてもいいし、
別の日にその分を残業してもいい。
とにかく自由でした。

いっそ、その日は休んで他の曜日に振替という手もありました。



トイレに向かって叫び続け、もし出てきたら無理やり車で学校まで送り届けたりもしました。
門から校舎に入ったのを見届けてそのまま車で出勤しました。
その日はコインパーキングに停めて働きました。


体調が悪いと言って遅刻しているものですから、


もう大丈夫?無理せんでいいで


と、同僚に言われる事に、すごく罪悪感がありました。


でも、どうしても学校に行かない日は、私も気力がなくなり、そのまま仕事を休む事も多くありました。
土日も営業している会社だったので、振替で土日に出勤させてもらったりしました。


あの頃の同僚は私のおかしな行動をどう思っていたのでしょう。
でも子供が不登校だと、あの場ではどうしても言えませんでした。
薄々感じていたかもしれませんが。



その話はまた後日。
読んでいただき、ありがとうございました。