20180120_ブラタモリ「#96_田園調布」 | Hon Taku の With My Soul

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ときがながれてのこるものはめにみえないものだけ

 

日本を代表する高級住宅街。

 

タモリさんはご近所で散歩コース。

近江ちゃんは来たことない。

 

東急のレトロな駅舎がお出迎え。

大正時代のものを再現していて街のシンボルになっている。

 

大田区なのか。羽田空港と一緒だって。

そういえば東京ウォーカーのときに大泉さん歩いてたな。

 

1918年から住宅街として分譲が始まった。

街の歴史はちょうど100年。それ以前は畑だった。

東京で人口爆発が起こって、それでも郊外にゆったり過ごせる場所を求めて。

 

駅から放射状に道が伸びている。

パリをお手本とした街の整備。そう見ると駅舎も凱旋門ぽい?

 

この街を考案したのは渋沢栄一の息子の渋沢秀雄さん。

阪急の小林一三もアドバイザーとして加わったが、放射状の街の形に激怒したとのこと。

 

田園調布会の理事のおじさんが出てきました。いい人そう。

 

カーブLOVEのタモリさん。

道が放射状にカーブしていることによって、

両脇の生垣の緑が目に入って来る。散歩もなんでも楽しい。

 

はじめは調布村だった。

イギリスの「ガーデンシティ構想」からインスピレーションを受けて「田園」と訳した。

庭園調布のほうが良かったかもね。和洋折衷な感じがする。

 

当時は中堅サラリーマン向けの売り出しだった。

阪急と同じことですね。

 

台地になってることにより固く締まった地盤であることから

有事の時に無事に動く必要がある軍事関係者が多く住むようになっていった。

あとは軍事関係の職場へのアクセスも良かったとのこと。

 

出前機配達の先駆けとなった「兵隊屋」の店主も元陸軍。

 

これがまた田園調布の価値を高めることとなった。

 

こうして誕生から70年で徐々に価値を高め、ついには地価日本一となったのである。

 

 

国分寺崖線(がいせん)

立川から田園調布に続く崖の続き。

の端っこにいるだけでテンションが上がるタモリさん。

理解不能の近江ちゃん。

 

浅間神社

東横線から見える。カーブを曲がる電車がうるさい。

ここ一帯には古墳があった。世田谷にかけて50基以上。

古代から豪族たちの土地だったことがわかる。

 

 

田園調布の東側。

商業エリア。住宅エリアとは完全に分けたのね。

シムシティか。やっぱり都市計画がなされて出来た街は何処かシムシティぽくなる。

上海もタワーから見るとまるでシムシティだった。

 

東側は平地が少なかったために、それを利用した施設もつくられた。

「田園コロシアム」「多摩川園」が紹介された。

 

多摩川園(大正14~昭和54)

最大年間100万人が訪れた遊園地。

崖や低湿地を巧みに利用した遊園地が作られていた。大山すべり。

 

 

何はともあれ、古代から一段上がった者が住むということに対し

理にかなった土地だったのでしょう。運命というか縁を感じます。