20170113_ブラタモリ「#95_宝塚」 | Hon Taku の With My Soul

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ときがながれてのこるものはめにみえないものだけ

 

やってくれたね。ブラタモリさん。

宝塚ですよ。

 

「花のみち」からスタート。

近江ちゃんは宝塚は初めて。タモリさんは昔に来たことがあるけど覚えてないって。

宝塚歌劇もタモリさんは観たことあり。

タモリさん「はじめは恥ずかしかった」と。近江ちゃん「ちょっと意外」と。

 

年間117万人が歌劇を観にやってくる日本が誇る娯楽の殿堂。

 

「宝塚歌劇団」の豪華なテロップとともに

ブーケドのパレードのあーちゃんがドーン!

これは嬉しいな。

 

シャンデリアでゴージャスな気分に。

そこのシャンデリアはあんまり注目したことなかった。

 

誰もいない劇場でさゆみさんとあーちゃんがお出迎え。

どんな朝に収録してんのよ。

「タモリでございます」と挨拶。

 

なぜ死ぬ前に歌うのか。なぜ羽を背負うのか。

ミュージカルに異議ありのタモリさん。

でも宝塚はとんじゃってるから、と。

唯一無二の世界があるからこそ多くに人に愛される、とさゆみさん。

 

さゆみさんの人柄がいい感じに出てましたね。

あーちゃんはいるだけで天使か。世間に見つかっちゃうんじゃないの。あー。

 

劇場内は興奮の赤色一色。

現在の劇場になって25年。2550席。延べ2500万人が訪れた。

初代の大劇場は4000人だったの?デカいな。

 

 

突然に地理の話になります。

 

宝塚は六甲山地と長尾山地の間を流れる武庫川の扇状地。

「宝塚って扇状地だったのか」とお二人。

近江ちゃん、よくできましたマーク。

 

武庫川はかつては暴れ川と呼ばれるほどで、

人が住みだしたのは130年前から。

それまではちょっと高台の小浜という地域が宝塚の中心。

 

人口の堀やクランクがある…。

もとは寺内町だったのですね。

戦国時代は寺内町も自己防衛のためにこういうものを作ったのでしょう。

 

その後、3つの街道のスクランブル交差点として

「小浜宿」として賑わいを見せることに。

 

学びの姿勢の近江ちゃん。いいねぇ。

 

小浜宿では

酒蔵や芝居小屋が立ち並んでおりました。

これが宝塚のエンタメの原点です。

と少々乱暴なつなぎ方であったが、まあ、いいでしょう。

 

宝塚の酒「乙女の舞」ってのがあるらしい。今度手に入れてきたい。

 

井戸水くみはタモリさんお得意の方式。

 

江戸から明治へ。

明治17年。武庫川のほとりに温泉が出ました。宝塚温泉。

最盛期には70軒の温泉宿が並ぶ温泉街があった。

 

いまもホテル若水の門前に「宝塚温泉」の石がある。

ホテル若水って日帰り入浴できるんやん。今度行ってみよう。

 

大正時代の宝塚温泉の遊びといえば

芸者遊び。お座敷遊び。250人の芸者さんがいたそう。

洗い張り屋さんの半生をお届けいたしました。

梅野町のマドンナこと浅秀さんも登場。

 

大阪から商談のためにやってくるお客さんも多かった。

 

阪急文化財団の方が出てきて宝塚歌劇団の成り立ちについて。

この人、話がうまい。

 

一人の天才、小林一三さんが、

低湿地で使い物にならなかった武庫川の左岸に目をつけた。

これを埋め立てて明治41年に「宝塚新温泉」をつくった。

右岸の男の世界とは色の違う、ファミリーエンターテイメントの世界を。

 

そういうとウォルトディズニーのような人である。

 

日本初の屋内プールが失敗し、

流れるプールではなくそこを劇場に改装して始めたのが

宝塚少女歌劇。初公演は桃太郎の「ドンブラコ」というのはファンの中では常識である。

 

タモリジェンヌ。

 

最後は再び「花のみち」へ。

松が生えている…。あまり気にしたことなかったけど、

ここは武庫川の自然堤防なのですね。それを松を植えて土手にしたのが

花のみちのはじまり。

 

 

以上!

 

あまりよくない評価を得ているようですが、

ちゃんと地理の話もあったし、よかったと思うのは、

私が宝塚という土地に贔屓しているからなのでしょうか。

 

今度行ったときは今回の放送内容のことを思い出して

いくらか宝塚の街を「ブラほんたく」してみたいと思った。ぽー。